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page=27 :指定天然記念物)は、古来神木として保存されている。(野々市町上林三丁目) 21 白山郷恵比寿神社 養老七年(七二三)土中から一体の神像を得て、村人達が祀堂を建立したのが創始と伝えられる。  富樫氏の同族林光茂は、常に当社を崇敬して歳事厚幣を奉ったと云われている。しかし、文明・長享(一四六九~一四八八)の頃兵火にかかり旧記を失ったという。(白山市部入道町) 22 神田白山神社 神亀五年(七二八)僧行基がこの地に安養寺を起こしたのが始まりとも、また大神姓の人が本社を創建し、その祖先を祀ったとも伝えている。  富樫氏ならびに大久保源左衛門等の、国司武将の崇敬厚き神社である。社蔵に 「則国の刀一口、さる社神田明神宝前に奉寄進する」旨の晴貞(花押)の寄進状があるといわれている。(白山市安養寺町) 23 寺下知気神社 創立の年代は不詳であるが、あるいは慶長年間(一五九六~一六一四)の創建と伝えられる。  この地は、富樫氏と同族である林六郎の居館したところとして往古より世に知られ、当社と関係あるものと察せられる。  はじめは知気社と称したが、明治二十一年(一八八八)現社名に改称した。(白山市知気寺町)
page=27 :24 森島神社 富樫氏の同族と推察される石川郡福岡の豪族藤原重宗が建立した由緒ある古社といわれている。往古は伊勢神宮の神領であったとの伝承があり、これを物語る俗謡がある。  もとは神明宮と称し後に森島社となり、明治十四年(一八八一)現社名に改称した。(白山市森島町[下森島]) 25 白山神社 富樫信家が白山長吏として森島に居館した時、日常奉仕する白山比咩神社を勧請して、一社を建立したのが当社の起源であるとされている。  社蔵の額に「(前略)武運長久子孫繁栄の祈願鎮守府将軍藤原利仁八世の孫 冨樫介藤原信家」とあり、また富樫晴貞画の絵馬額が一面あるという。(白山市森島町[上森島]) 富樫氏・大乗寺関連史料を収録した『野々市町史』考古・古代/中世編を頒布中です。 ○頒布価格  五〇〇〇円