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page=30 :富樫氏ゆかりの石川郡神社について(その二)
昨年の会報60号では、『冨樫氏と加賀一向一揆史料』(舘残翁著)所収
「冨樫氏崇敬の石川郡神社」四十一社のうち二十五社を紹介しました。
今回は、白山市内の十六社 (26~41)について掲載いたします。
26 槻橋神社
富樫政親の代官「槻橋弥四郎」が、御蔵山に居館して当社を崇敬したと伝えられる。
越登賀三州誌に「富樫氏城糧、倉址、御蔵山とて月橋村領の山上にあり今も焦米土中より生ずる也」とあって、蔵山の地名の起こりとされている。正中二年(一三二五)富樫氏より奉納米ありとの記載がある。
もとは八幡社で、明治十五年(一八八二) 現社名に改称した。
(白山市月橋町)
27 白山比咩神社
崇神天皇七年(紀元前九〇年)に創建されたと伝えられる延書式内の名社で、古来より白山本宮として尊崇されている。
全国三千有余におよぶ白山神社の総根源社で、加賀の一の宮である。
後醍醐天皇時代の嘉暦三年(一三二八)守護富樫介が神剣神馬を献じたと言われる。また、上林郷の地頭であった大桑禅門沙弥玄猷が田地を奉じたとも伝えられている。(白山市三宮町)
page=30 :28 宇佐八幡神社
創立年代不詳。横江郷を領していた横江氏は、富樫氏の一族にして、その隆盛時には、横江七郎基光なるもの当社を尊信し社殿を造営し、横江郷の総社としたと言い伝えられている。
もとは八幡社であったが、明治十年 (一八七七)、現社名に改称した。(白山市横江町)
29 ●城八幡神社
社記によれば、永延年中(九八七~九八九)富樫忠頬の家臣、布施右兵衛が本村に居館し、八幡神を邸中に鎮斎したのが本社の起源とされる。
長享の役(一四八八)に富樫氏