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page=31 :が敗れて、里人新に福増村の産土神と崇めて今日に及ぶという。
もとは八幡宮と称したが、明治十四年(一八八一)地名をとって現社名に改称した。(白山市福増町)
30 宮永八幡神社
豊勝宮または放生八幡宮とも称した。社記によると弘仁十四年(八二三)既に宮永郷に鎮座せし旧社で、一国一社の八幡宮といわれ、かつては毎年八月十五日に放生会の神事を斎行したという。
延文四年(一三五九)の富樫氏春の禁制、文明六年(一四七四)の富樫政親の寄進状、その他古文書、社記等を蔵している。(白山市宮永町)
31 東市杵島姫神社
富樫泰家が寿永二年(一一八三)五月、安芸国厳島神社の御分霊を勧請したと伝えられる。
はじめは市杵島姫社と称したが、明治十四年(一八八一)現社名に改称し、同四十年(一九〇七)一月に南出戸鎮座の菅原社を合祀した。(白山市相川町[東相川])
page=31 :32 徳光八坂神社
永延元年(九八七)、富樫忠頼が牛頭天王を祀り、その家臣徳光氏を別当として奉仕せしめたのに始まる。
牛頭天王社、後に祇園社と称し、明治初年(一八六八)に現社名に改称した。浜宮八幡社に徳光八坂社を合祀し大正七年(一九一八)現地に遷宮したものである。(白山市徳光町)
33 安田春日神社
往昔、山鳥郷総社安田保大神と称し、醐醍天皇の延長五年(九二七)二月、国守有佐王が大和国奈良の春日明神を勧請したのに始まる。
長久三年(一〇四二)、富樫忠頼の支族、安田三郎惟光が当