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page=32 :村に居館して社殿を造営したと伝えられている。(白山市北安田町) 34 小白山神社  創立は不詳であるが、白山記に神符社とあるのが本社である。規模は宏壮で祭礼は盛大であり、白山の惣門があったといわれる。  元亀年間(一五七〇~七三)、加賀介富樫政親の遺臣、菱田忠太夫が神主のとき、現在の地に遷座したといわれている。(白山市小川町) 35 徳丸白山神社  久安六年(一一五〇)富樫氏の家臣である相州高倉郡寒久村の山上新保之介藤原宗久が加州松任駅に来住し富樫氏の臣となる。  当村地内に居住し当社を尊信したと伝えられる。(白山市徳丸町) 36 南郷八幡神社  後堀川天皇の安貞年間(一二二七~二九)に横江庄の領主で富樫氏の一族横江光房が、菩提寺としていた天台宗専福寺の守護神として八幡神を勧請し、八幡社を地内の南郷に創建したのが当神社の創立とされる。  その後、横江氏が横江庄を去ったため専福寺は廃寺となり、寺の跡に当社が移転した。  明治十三年(一八八〇)八幡社を現社名に改称した。(白山市専福寺町)
page=32 :37 高田神社  加賀介富樫家尚の家臣に山脇頼之という者がいて、正元・文応(一二五九~六一)の頃、僧侶「親鸞」の徒弟となり慶念と名乗る。  家尚はその志を尊び慶念福乗寺を建て慶念に与えた。慶念の死後に一時期廃寺となるが、後に復建して福正寺高田社と称した。  明治十三年(一八八〇)に高田社から現社名に改称した。(白山市福正寺) 38 正八幡神社  創立は貞観年中(八五九~八七七)。富樫氏と同族の林六郎光明が当社を尊崇し拝師神社と称した。  境内の大銀杏は神木とされ、銀杏の菓三枚を当社の紋章としている。また、この銀杏の葉三