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page=37 :富樫氏と大乗寺  大乗寺創建の富樫家尚は富樫氏十四代とされていますが、観応元年(一三五〇)三月に亡くなった大乗寺三世明峯素哲(めいほうそてつ)の葬儀記録には、新住持について相談すべき大檀那は「泉殿」と称されており、これを家尚の後裔とすれば、富樫氏系図の庶流「泉四郎高家」の系譜に連なる可能性も指摘されています。なお、同寺の過去帳に家尚は、元徳元年(一三二九)四月に没し、法名は英俊大居士と称したことが記されています。  また、押野荘地頭富樫家善(いえよし)は、貞和二年(一三四六)五月、大乗寺に田地五町と敷地を寄進し、その四至(しいし)を定め、田地・敷地の万雑公事はことごとく寺家の支配とすることとし、地頭は以後干渉せず、もし家善の子々孫々で寺を没落させることがあれば永く不孝の者とする等と明記されています。敷地の四至は「限東山王西江」「限南冨樫堺」「限西白山大道」「限北敷地堀」とあります。 大乗寺(金沢市長坂) 徹通義介禅師の石碑(大乗寺)
page=37 :大乗寺御開山徹通義介禅師 七百回御遠忌記念法要のご案内(大乗寺ホームページより)  平成二十年(二〇〇八)十月十四日、開山・徹通義介禅師の七百回御遠忌をお迎えいたします。  徹通義介禅師は、師の道元禅師の清貧、古淡の家風をうけつぎ、人材育成に意を注ぎ、時代に即応し、時代に先行する仏法の実現に夢を結んだ祖師でありました。 そして、徹通義介禅師の門下から、曹洞宗大本山総持寺を開創した曹洞宗太祖瑩山禅師が登場されました。瑩山禅師は大乗寺の第二世であります。実に、大乗寺は、大本山永平寺、大本山総持寺に格別の由緒をもち、大本山永平寺の四門首の一であり、両大本山に次いで、わが国曹洞宗の古刹と言ってよいのであります。  そこで、開山・徹通義介禅師の七百回御遠忌を契機として開山禅師の素志をあらためてみつめなおし、ご精神を混迷する現世世界に意義あらしめるため、報恩と顕彰のまことをあらわす記念法要、記念事業が営まれます。 〔奉修期間〕平成二十年三月一日~十月三十一日  本法要  平成二十年十月十一日~十月十四日 〔御正当法要〕平成二十年十月十三日(逮夜法要)        平成二十年十月十四日