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page=36 :米価闘争「米を供出(きょうしゅつ)する」という言葉が象徴するように、農家は自分たちの生産物を販売するのではなく、政府に差し出す……という意識で戦中から戦後の一時期を過ごしていた。
昭和30年代、日本の国民意識も大きく変化し始めた。35年頃より、農家も生産物の対価には、自分たちの意志をも反映して欲しいと、米価要求闘争が大掛かりになっていった。そして37年、それまで組織代表者中心の動きに加え、一般農民が大挙し、市街地へ繰り出し、むしろ旗を掲げてデモンストレーションをかけるという、当時としては破天荒な行動に出て、マスコミに大きく取り上げられた。これが、ある意味では予想を越えた成果を上げ、40年頃には、年間を通じスケジュール化された組織闘争を行うようになった。
以後20数年、農協イコール米価運動的な図式が定着した。短期的には大成功、長期的には・・・・?。ともあれ、農協という運動体の大きな節目となった出来事である。