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page=44 :旧村役場 昭和30年4月、旧野々市と富奥村が合併して、野々市町として新しくスタートした。その後、押野・郷地区の一部が編入し、今日の町域となっている.明治22年に誕生した富奥村は、時代の要請に害えて、66年の歴史を閉じたが、合併直前の戸数は320戸、人口2,019人であった。この建物は、町役場富奥出張所として34年3月まで存続したが、町立第二保育所の新築とともに姿を消すことになった。
page=44 :一村一心の碑 昭和4年頃からの大恐慌に、当村も生計に苦しむ家が多かった。この状況を改善しようと、村をあげての経済更生運動に取り組み、粟田のトマト加工場や上林の鯉の養殖場などが計画実践された。中でも若きリーダー中島栄治氏が提唱した修練舎「村の家」の建築は、県下でも注目のまととなった。
農会や産業組合など各種団体の一致協力下、経済更生5力年計画を達成した13年、役場前に「-村一心」と刻んだ石標を建立、その後も村人の心の指標とされるに到る。(富奥郷土史より)