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第十二章 戦争と兵役

 

 

==第一節 国と国との争い==

 

第一節 国と国との争い

 一、徴兵令の制定

  明治五年十一月、明治新政府によって国民皆兵のため徴兵制度が定められた。明治六年には金沢に名古屋鎮台の分営が設置され、さらに明治八年には歩兵第七連隊が設置された。

  徴兵検査は男子が満二十歳(数え年二十一歳)の春になると、必ず受けなければならないのである。金沢連隊区から司令官が来て、厳重な身体検査を実施する。若者達が丸裸で列をつくって検査を受けるかっこうは見事であり、真剣そのものだった。午後四時頃連隊区司令官の前で自分の名前を大声で告げると「合格」「不合格」をいい渡される。甲種、乙種、丙種の三段階で決められる。甲種合格はもちろん兵役にとられるのである。乙種は後日教育のため短期間とられるのである。甲種合格になったものは「男子の本懐これにすぐるものなし」とみんなや周囲から祝福されたものである。わが村から今年は何名が甲種合格になったかと、多数が甲種合格すると役場では鼻を高くしたものである。

  大東亜戦争末期になると甲種、乙種はもちろん丙種の者まで全部身体検査をやり直して甲種に格あげされ、兵役に召集された。そして徴兵検査の年齢も二十歳から十八歳くらいまで下げられ、現在の高校一、二年生くらいの男子が検査で合格して入営していった。

  教育、納税、徴兵がわが国の三大義務となったのもこの時からである。徴兵制も初めは戸主とか長男は兵役からはずされたという。このため二、三男は兵役の対象となったのである。それをのがれるため、その頃はよく養子縁組が行われたという。

  町村制が施行され、学校も一町村一校などに整備されて、学校教育は急速に忠君愛国から軍事教育へと強化されていった。

  明治二十年十月二十日の日付けで次のような珍しい規約が出されている。

    石川郡徴兵服役者待遇規約

     第一章  総  則

  第一条 徴兵ハ国民最上ノ義務ニシテ服役者ハ其義務者

      ノ惣代ナリ故二該服役者ニ対シ待遇慰労並家族

      ノ生計ヲ扶助スルモノトス

  第二条 待遇慰労扶助ノ方法ハ郡内一般ニ係ル者ト其町

      村二係ル者ト二種類ニ分ツ其郡管理者ハ郡長町

      村管理者ハ戸長ヲシテ其任ニ充ツ但シ町村ノ惣

      代ハ其町村ノ世話掛ト定ム

     第二章  職 章

  第三条 郡管理者ハ郡内人民ニ換り町村管理者ハ町村人

      民ニ換リ左ノ各項ヲ掌ル    郡管理者

    一、待遇慰労扶助ノ等級ヲ定ムルコト

    二、全員保管出納

   町村管理者

    三、拠金出金ノ取マトメ

    四、待遇慰労扶助等二関スル事実取調具状ノコト

    五、所轄町村ノ規約監督

   町村世話掛

    六、拠金出金ノ勧奨

    七、入営帰郷召集等ノトキ親愛敬礼ヲ表スルコト

    八、其町村規約施行

    第三章 郡内一般ニ係ル待遇慰労扶助

 第四条 現役満期帰郷スレハ郡管理者ハ町村管理者ノ具状ニヨリ左ノ等級二照シ拠労金ヲ贈与ス但現役志願者ト常備現役者ト同等ナルトキハ現役志願者ハ其同等中最上ヲ以テ之ヲ定ム

   一等 金十円以下 現役志願者並常備現役者ニシテ現役中勲章を得タルモノ

   二等 金七円以下 現役志願者並常備現役者服役中上等兵トナリ精勤証書ヲ得タルモノ或ハ下士適任証書ヲ得タルモノ

   三等 金五円以下 現役志願者並常備現役者服役中一等卒トナリ精勤証書ヲ得テ褒賞ノ為メ帰休ヲ命セラレタルモノ

   四等 金三円以下 現役志願者並常備現役者服役中一等卒トナリ精勤証書ヲ得タルモノ

   五等 金二円以下 現役志願者並常備現役者服役中二等卒トナリタルモノ

   六等 金一円以下 現役満期帰郷ノモノ

 第五条 服役中戦死老若クハ戦地ニ在テ公務ノ為メ死亡セシモノハ墓碑ヲ建設シ且弔祭料トシテ金員ヲ贈与シ又相当ノ弔祭ヲ施行スルコトモアルへシ

      但本文ノ場合ハ郡内普ク有志ノ義損金ヲ募集シ其町村ニ委員ヲ設ケ斡旋セシム

 第六条 服役中戦闘及戦地ニ在テ公務若クハ疾病ノ為メ死亡或ハ在営中公務ノ為メ負傷若クハ疾病(自己ノ不摂生ヨリ生シタル死亡ハ之ヲ除ク)ノ為メ死亡シタルモノ其家貧困ニシテ生計ノ道ナキ遺族者へ左ノ等級ニヨリ一時扶助料ヲ贈与ス

   一等 金十円以下 現役志願者ニシテ本条ノ事故二当ルモノ

   二等 金七円以下 尋常者ニシテ本条事故ニ当ルモノ

 第七条 服役中戦闘及戦地二在テ公務ノ為メ負傷若クハ在営中公務ノ為メ負傷並疾病(自己ノ不摂生ヨリ生シタル病ハ之ヲ除ク)ノ為メ帰郷後産業ヲ営ムコト能ハサル者ハ左ノ等級ニヨリ終身扶助ス

   一等 金五円以下 現役志顧者ニシテ本条ノ事故二当ルモノ

   二等 金三円以下 尋常者ニシテ本条事故ニ当ルモノ

 第八条 現役者在営中其家族老弱幼稚或ハ疾病等ニテ産業ヲ営ム能ハスシテ頼ルへク親戚モナク生計ニ苦シムモノ一般ノ規則ニヨリ官ノ救助ヲ受クルニ至ラス目下糊口凌キ難キモノアラハ左ノ割合ヲ以テ扶助ス

  一日 金二銭  十三年未満ノモノ七十年以上ノモノ

  一日 金三銭  十三年以上ノモノ七十年未満ノモノ

 第九条 現役満期ニ至ラスシテ一家ノ都合ヲ以テ願二依り帰休セシモノハ慰労金贈与セス

 第十条一年志願兵輜重輸卒慰労金ハ服役月割ヲ以テ満期服役割合ノ三分ノ一以下ヲ贈与ス

      第四章 町村二係ル待遇慰労扶助

 第十一条 現役者満期帰郷ノ上ハ其町村内ニ於テ万端鄭重二待遇スへシ

 第十二条 現役者入営帰郷ノ節ハ親愛敬礼ヲ表スル為ノ其町村内ノ戸主タルモノハ町村界迄送迎スルモノトス

 第十三条 現役者在営中並予備役後備役召集ニ応シ隊伍ニ編入セラレタルモノノ耕耘ノ季節其他家事繁多ニシテ家業整ハサル場合ニ於テハ一家ニ付一年左ノ割合ニヨリ人夫又ハ之ニ相当スル物品ヲ其町村ヨリ補助ス但シ人夫ハ無謝自賄タルへシ

   十五人以下 現役志願兵

   十 人以下 尋常兵

  第十四条 現役満期帰郷ノ上ハ其町村ニ於テ学校等公会ノ式アルトキハ招待スルモノトス

  第十五条 第六条二該当スルモノハ五ヶ年第七条ニ該当スルモノハ十ヶ年第八条ニ該当スルモノハ現役中其家ニ課スル夫役(町村費支弁ニ掛ル夫役)ヲ扶助スルモノトス

     第五章  拠金出金出納

  第十六条 本郡総戸数ヨリ一戸ニ付一ヶ年金五厘宛ヲ以テ毎町村費戸数割等差法ニヨリ其町村ヨリ拠集シ尚本郡ニ奉職者及有志者ノ出金ヲ加合ス

  第十七条 町村世話掛ハ町村費前期戸別割徴収ノ節第六条ノ金額ヲ取マトメ町村管理者(戸長)へ送附シ町村管理者ハ送附ヲ受タル日ヨリ五日間ニ郡管理者(郡長)へ送附ス

  第十八条 金銭収支ハ其年四月一日ヨリ翌年三月三十一日迄ヲ一週年度トシ前年度ノ精算明細表ヲ製シ毎年五月限リ町村一般へ報告ス

  第十九条 本規約ノ集金ハ駅逓局貯金課へ預入シ利子増殖ヲ量ル但本規約ニ関スル取扱ノ経費ハ該金以テ支出ス

  第二十条 出納帳簿ハ規約人ノ要求アラハ之ヲ披閲セシム

      第六章  附 則

  第二十一条 服役者待遇慰労扶助ハ他ノ郡区ニ転籍シタルモノ又ハ他郡区ノ者服役中入籍スルモノ共二本規約ニ依ルノ限リニアラス然レドモ該規約アルケ所ヨリ入籍スルモノハ本文ノ限リニアラス

  第二十二条 服役中禁錮以上ノ刑に処セラレ又ハ三回以上懲罰(故意ニ出タルモノ即チ帰営遅刻或ハ上官ノ命ヲ奉セサル者等)処分ヲ受ケタルモノ或ハ賭博犯ニヨリ懲罰ヲ受ケ又ハ自身名誉ヲ汚辱シタル者或ハ先入兵トシテ徴集セラレクル者ハ慰労金扶助金ヲ贈与スルノ限リニアラス然レドモ戦闘若クハ公務ノ為メ死傷ノ者ハ第五条第六条第七条二準シ相当ノ待遇慰労ス

  第二十三条 本規約ハ町村協議ヲ取リ其町村総代人ニ於テ引受誓約書ヲ郡管理者へ本年六月一日ヲ期シ差出シ但シ誓約書々式ハ左ノ通トス

  第二十四条 本規約ハ本県知事ノ認可ヲ経テ実行スルモノトス

        但待遇慰労扶助ハ明治二十一年一月ヨリ実行ス

  第二十五条 本規約ノ外各町村ニ於テ情誼上更ニ規約ヲ設ケタルトキハ郡長ヲ経テ本県ノ認可ヲ受クへシ

  第二十六条 本規約改正追加削除スルトキハ郡内各町村ノ協議ヲ取ル

       誓約書

 今般石川郡徴兵服役者待遇規約設立ニ付該規約ハ総テ同意任候故ニ人民ニ於テ尽スへクハ勿論諸事遵守可致依テ規約

 第二十五条ニヨリ藤平田村外十八ヶ村協議ノ上誓約証如件

    明治二十年十月二十日

        石川郡藤平田村総代人   太 田 清 助

        同 上 三納村総代人   佃  徳左衛門

        同 上 矢作村総代人   山 原 市三郎

        同 上 額新保村総代人  津 田 宗兵衛

        同 上 大額村総代人   岡 田 小三郎

        同 上 額乙丸村総代人  西 川 三次郎

        同 上 額谷村総代人   浦   源兵衛

        同 上 四十万村総代人  中 村 源 七

        同 上 三十苅村総代人  山 本 喜左衛門

        同 上 下新庄村総代人  村 上 安兵衛

        同 上 粟田新保村総代人 藤 井 孫右衛門

        同 上 藤平田新村総代人 宮 岸 与三右衛門

        同 上 中林村総代人   小 林 弥之吉

        同 上 上林村総代人   神 田 与三右衛門

        同 上 末松村総代人   古 源 七兵衛

        同 上 福正寺村総代人  中 村 安太郎

        同 上 清金村総代人   宮 崎 吉兵衛

        同 上 下林村総代人   得 納 新右衛門

        同 上 位川村総代人   長 納 太兵衛

   徴兵待遇規約管理者

      石川郡長 安 達 敬 之 殿

  以上のように各村総代連名で徴兵による兵役者に対する優遇措置を規定している。

 

 

 二、西南戦争

  明治六年、日本は諸外国との友好を深めるに当たり、まず、朝鮮との親善を図った。が、朝鮮がかえって礼を失するような態度に出たため、西郷隆盛は自ら朝鮮に赴いて談判を行った。しかし、これも開きいれられず、ついに征韓論が起こるに至った。

  これに対し欧米諸国の視察から帰った岩倉具視らは、外征より内政を整える方が先だと主張して、西郷隆盛の征韓論と対決、隆盛は官を辞して郷里鹿児島へ帰り、私学校を開いて文武の道を教えた。そのうち明治十年、隆盛の征韓論を支持する私学校の若者達は兵を挙げ熊本城を攻めた。これが西南の役であり、わが村から次の二人が官軍に加わって参戦した。

   長吉右衛門(下林) 大村久一(太平寺)

 三、日清戦争

  明治十五年、朝鮮の京城に暴動が起こったことがきっかけとなって、朝鮮独立を支持する日本と、朝鮮を属国にしようとする清国との争いに発展し、日本の伊藤博文と清国の李鴻章とが会見して条約を結んだ。

  この事件は清国が朝鮮を属国として政治をほしいままにしたため、東学党という一派が乱を起こして悪政を改めようとしたことが原因である。これに対して清国はただちに属国朝鮮の難を救うと称して大軍を送ったので、日本もまた居留民保護のため朝鮮に出兵した。

  日本は清国と力を合わせて朝鮮の政治を改め発展させて、長く東洋の平和を保とうとしたが、清国がこの交渉に応ぜず、逆に日本に撤兵を要求し、さらに兵力を強化して日本を威圧したため明治二十七年八月一日、日本は清国に宣戦を布告した。これが日清戦争で、わが村から徴兵により次の四人が参加した。

   西尾安三郎(近衛歩兵、上等兵、上新庄)杉内初三郎(七連隊、憲兵上等兵、上新庄)中村駒太郎(末松)松本市三郎(同)

 四、日露戦争

  日本は日清戦争の勝利によって遼東半島と台湾・澎湖諸島を得た。ところが隣国ロシアは日本の遼東半島領有を喜ばず、ドイツ、フランスとともに東洋平和の名のもとに、遼東半島を清国に返還させた。ロシアはその報酬として満洲に鉄道敷設の権利を得たほか、旅順・大連を租借して権益を伸ばしてきた。

  ドイツ、イギリス、フランスもまた、口実をもうけて膠州湾・威海衛・九竜半島・広州湾などをそれぞれ租借して利権を収めた。清国内ではこれに憤慨して各地で暴動が起こり、満洲にいた清国兵が呼応してロシア人を襲撃した。

  ロシアはこれを機に満洲へ大軍を送り、これを占領、なお兵を増強して韓国まで威圧して来た。

  日英同盟によりロシアは撤兵を約したが、これを果たさず、かえって韓国の北境を占領した。

  日本は東洋の平和が保たれず、日本の安否にも影響を感じてきたのでロシアといろいろ交渉を重ね、平和のうちに解決しようとしたが、ロシアはこれに応ずる誠意もなく、かえって旅順に要塞を築き、日本を威圧した。

  明治三十七年二月、日本はやむなくロシアとの国交を断絶し、ただちに宜戦を布告した。日露戦争は日本が国運をかけた最初の大きな戦争であった。満洲の広野に繰りひろげた大激戦、二〇三高地の攻略、あるいは旅順港の陥落や日本海海戦など、歴史に残る壮絶な戦いが展開されたことはあまりにも有名である。わが富奥村からも多数の軍人がこの戦いに参加して武勲をたてたが、若い命を国のために捧げた犠牲者もいた。

  村の人達は留守を守り、戦争に勝つための政府の増税にもあまんじ、募債にも応じて耐え、明治三十八年九月、ポーツマス条約を結んでさしもの日露戦争も終結した。

   日露戦争に関係した人

   中林

    横山松次郎 小林弥三郎 中山善太郎 松林栄次郎 藤田与三郎 高橋覚吉 北本吉三郎 浅田浅次郎

    河合定次郎 北本音吉  島崎

   上林

    仏田伊三郎 神田与吉 吉本松吉 多村長作 宮岸与吉 西本松太郎

   上新庄

    西尾安三郎 杉内初三郎

   下新庄

    西村安太郎 谷徳次郎

   藤平

    藤堂香作

   粟田

    中村茂三郎 田中仁三郎

   下林

    橋本鉄太郎 沢村与十郎 宮川仁太郎 林庄次郎 長信義 新森栄松 宮本徳次郎 寺西藤次 作田庄次郎

    伊藤栄吉 寺西次作

   太平寺

    居村徳次 石尾正次 平井常吉

   清金

    五香政吉 東秀次 宮崎太三郎 上野栄吉 西村主計

   末松

    蟹川政吉 北村喜太郎 古源徳太郎 北村弥三郎 松村新太郎 松本七三郎 東山仁三郎 松本市三郎

    古源六三郎 栗山源次 松本長吉 中村駒太郎 古源七三郎

 

 

 五、シべリヤ出兵

  第一次世界大戦の最中、大正六年に帝政ロシアに革命が起こり、共和国となり、単独でドイツと講和を結んだ。このためドイツは勢力をシベリア方面にまで拡大し、日本の権益は非常にあやうくなり、ウラジオストックでは多数の日本人が殺された。これを尼港事件という。

  日本は居留民の安全と権益擁護のためシベリアに出兵した。金沢の第九師団にも大命が降り、大正十一年五月、シベリヤに出兵した。この出兵には次の三人が参加した。

    河村孝一(中林)西尾貞基歩兵伍長(上新庄) 田中理治歩兵伍長(三納)

 六、第一次世界大戦

  大正の初めに入ってから、ドイツ、オーストリヤ、ハソガリーの各国はロシア、フランス、イギリスと戦争を始めた。ドイツは先の租借地膠州湾に日夜戦備を補強し、その艦艇がしきりに東亜の海域に出没してアジアの平和を危うくし、通商のさまたげとなってきた。このため日本は日英同盟により再三ドイツに勧告したが応じないので、ついに大正三年八月、ドイツと国交を絶ち、宣戦布告となった。そして日本はただちに青島の要塞を陥した。これが第一次世界大戦である。

  この戦いにより日本は青島をはじめ、山東省などの権利と、ドイツが領有していた南洋諸群島の委任統治を受けた。

  わが村からこの大戦に次の人が参加した。

    村井利八(上林)海軍一等兵曹

 七、満洲事変(昭和六年) 上海事変(昭和七年)

  大正十五年十二月から年号は昭和と改まった。が、その頃から次第に世界的不況の風が吹き、人心は焦りと不安にかられていった。

  朝鮮では抗日運動が激しくなり、日本は満洲に開拓の活路を求めて満蒙確保の方針を打ち出した矢先に、満洲の頭目張作霖がなぞの爆死をとげた。

  昭和四年に田中義一内閣退陣のあとをうけて広田内閣が登場した時、史上末曽有の一大恐慌が始まり、ニューヨーク・ウォール街の株式相場が大暴落し、世界を大恐慌に巻き込み、日本もまた進路を大きく変えることとなった。

  昭和六年九月十八日夜、柳条溝で起こった満鉄の線路爆破事件に端を発して、日本は関東軍をして満洲に戦線を拡大し、わが金沢の第九師団にも出動の大命が降下されたのが満州事変である。

  こうして日本の大陸進攻作戦は一段と激しくなり、翌昭和七年一月には上海事変が起こり、いよいよ日本は戦争の中へ突入していった。

  村の各神社では大杉の一番てっぺんに太い竹ざおをたて先端に特大の日の丸を掲げて武運を祈った。昭和六年から七年にかけては、日本が長い戦争体制に入った重要な年であった。

 満州事変・上海事変に関係した人。

 西尾友一(歩兵兵長、上新庄) 山田一郎(歩兵上等兵)

 支那事変・太平洋戦争に関係した人

 中林

 中村 精憲 衛生兵長 支那

 小林 武夫 歩兵伍長 支那

 山田 一郎 歩兵曹長 支那 太平洋

 安田 庄一 近衛曹長 〃

 西崎 寅二 〃 上等兵 太平洋

 金村 信哲 衛生伍長 〃

 中山 政喜 歩兵一等兵 〃

 高桑 栄吉 〃 上等兵 〃

 福田 他吉 歩兵軍曹 支那 太平洋

 金村 秀雄 〃  兵長 〃

 西崎 順作 海軍兵曹長 〃

 高桑 藤松 〃  兵長 太平洋

 金田善太郎 一等水兵 〃

 川越 正雪 歩兵伍長 〃

 小林  巌 〃上等兵 〃

 西  忠雄 〃一等兵 〃

 向田初三郎 〃上等兵 〃

 千田  章 歩兵上等兵 〃

 河村好一郎 〃 兵長 〃

 川西 正次 〃 伍長 〃

 小寺 忠義 一等水兵 〃

 森  昌昭 航空兵長 〃

 中山 鍵二 一等水兵 〃

 江藤 利雄 歩兵兵長 〃

 小林  博 上等水兵 〃

 小林 正男 上等兵曹 〃

 小寺 義雄 上等水兵 太平洋

 河村 外光 水兵長  〃

 河合 末吉 一等水兵 〃

 林  藤一 軍  属 〃

 西村 久悳 軍  属 〃

 上林

 小林 信二 歩兵上等兵 支 那

 西本 博義 〃 曹長 支那 太平洋

 村井 正信 〃 上等兵 〃

 西村 敬親 〃  兵長 〃

 村井 三良 〃  兵長 〃

 村井幸次郎 〃  軍曹 太平洋

 西本 敏雄 上等兵曹 〃

 多村  渉 上等兵曹 〃

 吉本 外次 海軍衛生 二等兵曹 太平洋

 小林 孝次 歩兵兵長 〃

 小林 喜一 歩兵軍曹 〃

 中村 一郎 歩兵一等兵 〃

 多村 敏雄 〃  伍長 〃

 仏田 正明 船舶兵長 〃

 神田 一二 歩兵伍長 太平洋

 北川 清一 海軍主計 上等兵 〃

 多村 重信 歩兵上等兵 〃

 宮川 昭一 海軍航空 兵長〃

 村井 良美 一等水兵 〃

 宮岸 洋二 海軍 上等飛行兵〃

 小林 信好 憲兵上等兵 〃

 仏田外茂男 輜重上等兵 支那

 加藤 弓男 歩兵上等兵 太平洋

 関  欣治 歩兵軍曹 支那 太平洋

 永島 信幸 衛生少尉 〃

 吉本 篤俊

 中谷 謙三

 小林 栄吉

 宮岸 英信

 宮岸 文治

 下新庄

 北村 好次       太平洋

 谷  好信 海軍上曹 〃

 北村 信一 陸軍 曹長 太平洋

 西村 定吉 船舶上等兵 〃

 村本 外雄 歩兵軍曹 〃

 谷  信行       〃

 西村 康賢 海軍兵学校七三期生

 矢作

 北井栄次郎 歩兵上等兵 支那

 山原 信導 〃 上等兵 〃

 中村 末男 〃 一等兵 太平洋

 宮本 八郎 〃 上等兵 〃

 宮本 義夫 〃 上等兵 〃

 堀江 秀吉 〃 曹長 支那 太平洋

 山原 栄吉 砲兵 軍曹 〃

 中村 寧孝 歩兵 軍曹 太平洋

 安井 信行 歩兵 伍長 〃

 小林外喜男 義 勇 軍 〃

 三納

 久田 久勝 歩兵 曹長 支那

 西川 次一 〃  軍曹 〃

 大島 直吉 〃  伍長 太平洋

 長田辰三郎 歩兵 兵長 太平洋

 佃  栄吉 海軍主計 上等兵曹 〃

 三納  博 海軍整備 一等兵曹 〃

 長田 三郎 海軍機関 一等兵長 〃

 宮岸 伝二 近衛兵長 〃

 山田 俊夫 海軍機関 〃

 佃  啓三 海軍二等 〃

 大島 豊次 海軍兵曹 〃

 藤平

 三納 利雄 歩兵軍曹 太平洋

 藤井  実 〃 上等兵 〃

 藤堂 秀吉       〃

 進村 幸信       〃

 藤井 善治       〃

 藤平田

 村田 利久 歩兵中尉 太平洋

 千田 義男 〃 一等兵 〃

 村田 省三       〃

 太平寺

 中島 賢次 騎兵伍長  支那

 石尾  哲 衛生上等兵 支那

 平野 栄吉 衛生上等兵 〃

 平井庄八        〃

 平野  正 歩兵曹長 支那 大東亜

 平井  清 歩兵兵長 太平洋

 中島  潔        〃

 徳野 保雄   支那 太平洋

 村田 武範      太平洋

 中島  隆        〃

 中島 康雄        〃

 平野久太郎        〃

 平野 政雄        〃

 平野千代子 従軍看護婦  〃

 清金

 金田 秀次 砲兵大尉 太平洋

 北岸  博 憲兵伍長   〃

 東  週二 歩兵軍曹 支那 太平洋

 五香 徳二 〃 兵長 太平洋

 新本 新一 〃 一等兵 〃

 上野 由雄 船舶上等兵 〃

 北岸 文雄 歩兵軍曹  〃

 五香 益喜 歩兵軍曹  〃

 本井 外吉 〃  伍長 〃

 金田 久信       太平洋

 西井 武夫 歩兵二等兵 〃

 西井 竹吉 〃 二等兵 〃

 北田 佳吉       〃

 三口 俊秀 砲兵 曹長 〃

 徳野 友嗣       〃

 西村 主次       〃

 本井 義雄       〃

 末松

 古源 幸啓 山砲 伍長 支那

 町谷 直春 歩兵上等兵 支那 太平洋

 川畑 良章 砲兵 曹長 支那 太平洋

 川畑 市治 航空整備 上等兵 太平洋

 西村 喜吉 歩兵上等兵 太平洋

 蟹川 政富 歩兵 伍長 〃

 高木 政喜 重砲 伍長 〃

 北村 良三 海軍二等兵曹〃

 川畑  弘 歩兵伍長  〃

 北村 文夫 幹部候補生伍長〃

 松本 弘文 歩兵上等兵 〃

 松本  繁 通信中尉 〃

 栗山 直次 歩兵伍長 〃

 松村  裕 〃  軍曹 〃

 古源 外二 重砲 兵長 太平洋

 松村  功 戦車上等兵 〃

 中村 安栄 歩兵上等兵 〃

 古源  貢 幹部候補生伍長〃

 畠  頼道 海軍 二等水兵〃

 北村 一郎 工兵 二等兵 〃

 古源 一栄 歩兵 二等兵 〃

 栗山外喜久        〃

 松村  忍 砲兵 二等兵 〃

 古源 利雄 輜重 二等兵 太平洋

 松本 敏栄        〃

 西村外喜雄 山砲二等兵  〃

 西本 悦雄 機動一等兵  〃

 北村 三郎 歩兵 曹長  〃

 古源  潔        〃

 上新庄

 上田 敏夫 歩兵軍曹  支那

 浦  秀雄 航空中尉  支那 太平洋

 作田  豊 海軍少尉 太平洋

 高橋 正雄 陸軍中尉 〃

 藤田 報恩 歩兵伍長 〃

 西尾 由雄 憲兵曹長 太平洋

 島崎 正明 一等兵曹 〃

 越田 清司 海軍二等機関兵〃

 西尾  忠 陸軍少尉 〃

 庄田 富治

 高橋 信行

 島崎 一之

 上田 外雄

 藤田 敬温 輜重上等兵 太平洋

 下林

 黒川外雄        支那 太平洋

 森下 丈夫        〃

 北川 外次        〃

 増山 文男        〃

 沢村 庄松       支那

 石塚作次郎        〃

 東  省吾        〃

 林  政信        〃

 長  与作        〃

 杉野 三郎        〃

 長  豊富        〃

 東田鉄太郎        〃

 長 清次郎        〃

 東  外吉       支那 太平洋

 伊藤 好麿        〃

 吉岡 治作        〃

 古島 茂忠        〃

 作田 庄一        〃

 吉岡 辰次       支那 太平洋

 林  与吉        〃

 宮川 敏二        〃

 伊藤仁三郎        〃

 橋本 忠男        〃

 長   巌       支那

 土田一二郎       支那 太平洋

 本  正二        〃

 宮川 幸雄        〃

 北川 利治        〃

 山田 由次        〃

 新森  晃        〃

 伊藤 正雄       太平洋

 土田  勉        〃

 杉野  潔        〃

 葭田 義勝        〃

 宮川  柾        〃

 新森  峻        〃

 北川 晴一        〃

 寺西 幸作        〃

 山崎 音松       太平洋

 橋本 清盛        〃

 増山 了栄        〃

 寺西  忠        〃

 作田 行雄        〃

 粟田

 橋本 初治 歩兵 兵長 支那

 田中 亀治 陸軍 少佐 支那 太平洋

 市村 謙治 歩兵上等兵 支那

 藤井  克 上等 兵曹 支那 太平洋

 竹内 正行 海軍少尉   〃

 井口 守正 工兵二等兵 太平洋

 川浦 勝男 航空兵長   〃

 坂井  光 砲兵上等兵  〃

 山口  実 砲兵伍長   〃

 香城 哲丸 歩兵二等兵  〃

 馬場 信一 歩兵一等兵  〃

 田中 乙正 砲兵一等兵  〃

 中野 久男 歩兵上等兵  〃

 竹内 一朗 歩兵軍曹  支那

 浅井  潔 航空三兵曹 太平洋

 中野 助盛 歩兵上等兵 〃

 西田 入六 騎兵曹長  支那 太平洋

 竹内 外吉 歩兵上等兵 太平洋

 杉本喜佐男 歩兵上等兵 〃

 田中 勝治 〃 上等兵 〃

 竹村  祐 歩兵上等兵 支那 太平洋

 宮岸 信友 輜重上等兵 支那

 吉本 栄松 歩兵軍曹  〃

 吉本  章 歩兵一等兵 太平洋

 新明喜久男 工兵上等兵 〃

 山口  勇 上等兵   〃

 田中 初治 歩兵兵長  支那

 山口 他吉 歩兵上等兵 太平洋

 中村 朝雄 〃 上等兵 〃

 中野喜佐男 〃 兵長  〃

 香城  学 歩兵軍曹  〃

 中村 一信 陸軍    支那 太平洋

 浅井 正男 主計兵長  太平洋

 香城 光麿 陸軍少尉  〃

 新明 豊吉 二等兵曹 太平洋

 藤井  毅 見習士官 〃

 西田 清吉 歩兵上等兵 〃

 長井  広 歩兵伍長 〃

 山口 芳雄 海草水兵長 〃

 竹村 祐二 歩兵伍長 〃

 田中  寿 陸軍士官学校

 竹内栄太郎 陸軍  支那 太平洋

 竹内 信吉 〃     太平洋

 寺西 教証 〃   支那 太平洋

 浅井 猛男 〃     〃

 田中 謙行 〃     〃

 田中 広爾 〃     〃

 松尾(木村)外男〃  〃

 長井  信 〃     太平洋

 吉本 幸吉 〃     〃

 橋田 正治 〃     〃

 田中 喜一 〃 支那 太平洋

 田中 孝二 〃    太平洋

 藤井 末吉 陸軍   太平洋

 位 川

 高納 友春 砲兵兵長 太平洋

 長納 外行

 

  こうして村の青年達のほとんどすべてが戦争に参加したのである。徴兵検査で丙種になった男子は、身体検査のやり直しで病気やけが以外は甲種に繰り上げとなり、次々と召集され、第一線に出征した。が、日本の占領した広範囲な太平洋の島々は、アメリカなどの連合軍による新しい科学兵器と物量によって次々と陥落し、ルソン島・サイパン・アッツ・硫黄島・沖縄・ミッドウェー・ソロモンなどの島々を海戦や上陸作戦によって失い、尊い数多くの若者達が玉砕していった。

  太平洋戦争だけの戦死者教だけでも実に二百万人以上といわれ、戦争で失った生命は七百万人とも九百万人ともいわれている。

  富奥村でも次々と戦死の公報が役場を通じて知らされたのもこの頃であった。昭和十六年十二月八日未明に始まった大東亜戦争は、第一線の兵士はもとより、日本全土も空襲による大被害を受けて焦土と化し、一億の国民は筆舌につくせぬ大打撃を受け、ついに広島・長崎に原爆が投下された。そして昭和二十年八月十五日正午、天皇陛下の玉音放送により日本は無条件降伏でポツダム宣言を受諾、太平洋戦争は終結した。昭和の初期から太平洋戦争まで約二十年間、日本は長い戦争の結果ついに敗れ、歴史を根底から塗りかえてしまったのである。

 

 

  数百万の生命と満洲・朝鮮・樺太・千島列島・台湾・南洋諸島など、それまでに得たすべての領土と権益も失ってしまった。あともう一年も戦争が続いたら、一体どうなっていただろうか。わが富奥村も果たしてどうなっていただろうか。

  「国破れて山河あり」-。戦争は二度と再び繰りかえしてはならない。しかし、魂までも失いかけたような現代社会と若者は、戦争に参加した村人達をいま一度真剣な眼ざしでみつめ、心の中で問いかえしてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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富奥郷土史