初夏の季節、庭先や街路樹のヤマホウシ(山法師)が、白く清楚な花をつけて郭公の鳴き声を誘っている。

 

 「この前、町の図書館で郷土関連の書棚に、『野々市町のいしぶみ』という薄い冊子を見つけました」

 「ほう、石碑の話が続いたので、眼にとまったかな」

 「ぱらぱらと見ただけですが、農事社跡とか富樫館跡など有名なものから土地区画整理事業など、つい近年のものまで様々ですが、『道路元標碑』というのに興味をそそられました」

 

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☆ 明治六年、全国府県庁所在地の主要街道の交通要所に起点元標が建てられ、ここから県内の町村に至る距離が測定された。石川県の起点は、金沢市尾張町(橋場交差点付近)で標柱が建てられている。

 旧野々市村の道路元標は大正九年当時の野々市村役場前のこの地に建てられた。☆[注1]

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 「本町児童館といえば、旧野々市の真中あたりになるかな。旧国道8号線が町並をさけ北側に移ってから、かっての商店街が次第にさびれてしまった」

 「篤ちゃんと児童館に行ったこともありますが、道が狭くて自転車や歩行だと、ちょっと危ない感じだもの」

 「江戸期の北国街道そのままの道幅だろうから、やむをえないのだろうが。今年から本町通りの一部で電線を地中に埋める無電柱化事業が始まっている」

 

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☆北国街道は、近江国彦根に発して金沢、高岡、糸魚川を経て出羽国の西端、鼠ケ関を目指す。☆[注2]

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 「道路に面して土蔵があったり、郷土資料館や水毛生家など江戸時代を偲ばす建物が残っているので、少しは景観が良くなりそうですね」

 「旧六日通の石碑も郷土資料館前にあり、片側だけでも歩道がつけば、近世の歴史遺産として、少しは他に誇れるようになるかもしれない」

 「町役場は、布市神社うしろのものしか知らなかったのですが、現在三納の新館も含め3回も場所を変えているのですね」

 「合併や人口増などによる行政業務の増大に対処するため、やむをえなかった・・」

 「尾張町の道路元標が明治六年で、野々市の標識が50年もあとに作られたのは何故でしょう?」

 「江戸時代、主要街道には松並木や一里塚があったようだが、案外それが里程標としてそのまま役立っていたのかもしれない」

 「むかしは、金沢というより尾山と言うのが一般的だったように」

 「たった一つの石碑からでも、いろんなことが思い出される」

 「何気なく散歩に出たとき、新しい発見があるように、日頃見過ごしている処に、当時の記憶がこういう形で残っているのですね」

 

 「これが、わが町歴史探索・」

 

 伯父と姪、ふたりの眼差しに充足感がただよう。梢の葉を揺らすそよ風が、さわやかに窓から吹き込んでいる。

 

 (2009.8.18)

[注1]野々市町のいしぶみ -2-より

[注2]週間日本の街道51 講談社 -4-より

わが町歴史探索