雨滴が窓ガラスをつたって、つっ-と滑り落ちる。一滴また一滴と。外出さきから帰宅した訪古さん。
「やあ、篤志くん来てたか」
「こんにちは」
「ずいぶん、背がのびたようだな」
「あと少しで、追いつかれそう。あっちゃん、伯父さんにこの前の話聞いたら・」
「うん、友だちが布市神社に弁慶が投げ飛ばした石があるって、昔話しをお婆ちゃんから聞いたって・・」
「そうか、弁慶の力石のことだな」
「それって大きいの?」
「ここに写真があるが、むかしは若い衆の力くらべに使われていた盤持ち石の一つだ」
「盤持ち石って?」
「昭和30年代以降、世の中の変化が激しいので、忘れられないよう記録に残した人たちがいる」
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☆全く忘れられた風俗に、バンブチ(盤持ち)がある。米俵や石を担ぐ力競べの風俗で、40年前(1950)ころまで各地で行なわれていた。
バンブチは、単に力競べという意味だけではなく、若者社会への仲間入りの儀式としての意義をもっていた。
農村で暮らすには、物を担ぐ能力は欠かせないが、いくら力があっても、それだけでは米俵などを担ぐことはできない。
担ぐにはコツがあり、そのコツを体に覚えさす訓練の場がバンブチだった☆[注1]
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「うまいこと言うね」
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☆バンブチは、どの集落でも行なわれていた。しかし、現在バンブチ石の残っている町は少なく、八町17~19箇である☆[注2]
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「さしずめ、神社境内での、娯楽をかねた鍛練会かな」
「ただ、力石や盤持ち石というよりは、怪力無双と言われた弁慶との力比べと思えば、挑戦する方もファイトが湧く」
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☆本町のバンブチ石は、弁慶が野々市を訪れた際に、富樫館から若松町の、通称「チカライシ」まで投げ飛ばしたと伝えられている。また、旱魃のとき担ぎ回ると、必ず雨が降るといい、「雨ごい石」ともいわれている、との聞き書きがある☆[注3]
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「山伏が山中での連絡に法螺貝を使ったというが、弁慶が山伏すがたで、こんな大石を投げ飛ばしたなど、おおボラ(法螺)吹きもいいところ・」
「ワ-、伯父さんホ-ムラン。(笑い)そう言えば、弁慶の力餅というのもあったっけ」
「力モチって、食べるおモチのこと?」
「そう、農家が自宅で餅つきをしたとき、つきたてのあったかい餅を千切って大根おろしをまぶして食べる」
「わたしも子供の頃、ふうふう吹きながら食べたけれど、おいしかった。この子らが力持ちになって欲しいとの願いもこめて、単に、力餅というより弁慶の力餅というと、意味が強まり語呂も良いですね」
「類似の発想から、誰かが口にしたのが始まりだろうが、伝承の間に、話としてのおもしろさおかしさも加味されていった」
「その当時の民衆が抱いていた心情が、ひとつの石の名前に残っているのですね」
窓のそとに目を転ずると、盛夏を思わせた前日の暑さから一転、昼すぎから、降りだしたこぬか雨が、庭先の木々の若葉をしっぽり濡らしている。
布市神社の鳥居
(2009.9.1)
[注1~3] 中島康男「野々市文化」8号 -37-
わが町歴史探索