6月中旬、梅雨入り宣言がニュ-スで流れた。曇り空だと、ヤマセが吹くと少し肌寒いが、晴れると23~5度くらいの気温となって、同じ風が心地よく感じられる。


 「少し暑くなってきましたね」

 「今朝はカッコウが鳴いていたようだ」

 「伯父さん、作家の五木寛之を知ってます?」

 「もちろん、私の若いころは人気作家で、『蒼ざめた馬をみよ』や『さらばモスクワ愚連隊』などを読んだ。音楽シ-ンの描写が印象に残っているよ」

 「この間、彼の『百寺巡礼』という本に、次のような文章がありました」


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☆比叡の山をめぐる千日回峰行、基本的には東塔、西塔、横川の三つの地区を参り、その足で尾根道伝いに山をおりて、日吉大社にお参りするという(中略)日吉大社は比叡山の氏神である。☆[注1]

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 「日吉社と延暦寺、回峰行に神仏習合的要素が残っているということだろう」

 「明治に神仏分離令が出されたと、歴史で習ったけど、何かちがうみたい・・」

 「ここ十数年来、わたしもまわりの習俗は、神仏習合という視点でみた方が腑に落ちることが多い、と思うようになった」


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☆『古事記』に「大山咋神は日枝山(ひえのやま)に座(いま)す」とあるが日吉大社の創紀の起源といい、霊峰比叡山の東の麓に鎮座する祭神はもともと比叡山の地主神だった。

 古くは「日枝」「稗叡」「比叡」と書いて「ヒエ」と読んだが、平安末期ごろから「ヒヨシ」と読むようになったらしい。全国に3800社余りの末社がある☆[注2]

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 「今年から、集落の神社世話役に加わったが、下林の神社もその末社のひとつだろう」

 「京都や小松にも、日枝神社がありましたね」

 「読みが同じ頃は、同系と分ったけれどいまは歴史的な知識がないとね・。また薬師如来だが、平家物語などによれば山王権現として広く世間に伝わっていたようだ」


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☆陰暦四月の中の甲(さる)の日は、薬師如来が衆生を済度するため山王権現となって日本に迹を垂れた日とされる☆[注3]

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 「下林の神社舞殿には、薬師如来という文字だけの掲額(写真)があるが、金箔(金泥?)文字のハゲぐあいから、年代もののようだ」[注4]

 「薬師如来は仏さんですよね。明治の分離令以前のものが、廃仏毀釈をまぬがれてきた」

 「また、社地の湧水伝承が昔噺として下林に残っているが、これも次のような記事がある」


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☆四国八十八札所のうち、二十三ケ寺の霊場の本尊は、人々の病苦を除き、安楽を与えると信じられてきた薬師如来像で、そのいずれにも湧水・清泉伝説がのこされている☆[注1]

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 「重い病気に苦しむ人が、かっては神仏にすがるしかなかった。その反映ですか?」

 「下林の神社由緒にも、山王社や湧水伝説など、似たようなキ-ワ-ドが出てる。長い伝承のあいだに、日吉大社と末社の話の区別がつかなくなったのだろう」

 「言わば、地域固有の言い伝えに中央からの風聞がまぶされて、有り難みが強調された」

 「まあ、いつの世にもあること。目くじらをたてる必要もないが、由緒に記されたものを無条件に信じるのはどうか・・」

 

 

薬師日吉神社の狛犬スケッチ[注5]

 

 (2009.9.20)

 [注1]五木寛之著「百寺巡礼4」 -76-

 [注2]瓜生 中著「古寺社巡りの愉しみ」 -118-

 [注3]平家物語 訳注 -241-

 [注4]野々市町史 集落編 -154-

 [注5]野々市の狛犬(垣之内安彦)より

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