季節はめぐり、早くもケヤキやアメリカ楓などの街路樹が彩りも鮮やかな衣をつけ、錦秋の候を演出しはじめている。

 「神社の話が続いたのですが、初詣でのとき、絵馬を見た篤ちゃんから『どうしてあんなことするの?』と尋ねられたことがありました」

 「ああ、間近に迫った入学試験にむけて、受験生が合格を祈願して掛けた絵馬のことかな・」

 「若いひとの恋愛成就や、家内安全などもありますね」

 「それで、史ちゃんはどう答えたの・」

 「神様に何かお願いするとき、神前で手を合わせるが、その望みをより強く表現すること・・じゃないかなと」

 「神様でも、大勢の願いをいちいち覚えていられない・(笑) 日頃の習慣的行為を改めて尋ねられると、答えに詰まるものだね」

 「境内のはミニチュアですが、近隣の神社にも、絵馬というのか掲額が、拝殿の鴨居などに飾られていますね」

 「絵馬という言葉のとおり、本来は神の使いとされる白馬を描いて奉納したものだろうが、年代が下るにつれ、『翁(おきな)と媼(おうな)』図や雉子(きじ)図などのバリエ-ションが生まれたと思える」

 「海に生業を託す人達は、航海の安全を祈願する船の絵を、武者図だと戦勝を祈る武人が掲げたものでしょうか?」

 「当町にある神社の絵馬についての調査のコピ-がここにある」

 

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 ☆各集落の神社には、古い絵馬が沢山残されている。そのうち年代のはっきりしているものは14点で、1845~64年ころのものが多い(要約)☆[注1]

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繋馬図 天保4年8月(1833)

 「粟田の繋馬(けいま)図は180年も前のものとは思えないくらい鮮明ですね、白い馬でいかにも神々しい感じで・」

 「社の杜とともに、境内入り口の鳥居や参道脇の狛犬(こまいぬ)や燈籠(とうろう)なども神域の印象を深めてくれる。豊田日吉神社の石燈籠は、写真の絵馬よりもっと年代を遡る」

 

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 ☆元禄8(1695)年の寄進とあり、紀年銘のある石燈籠で、県内では金沢市小坂神社にあるものについで二番目に古い☆[注2]

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石燈籠の間で演じられる獅子舞

 

 「狛犬は、子供のころこわごわ見ながらも、何という動物か?と疑問を持ったことを思い出すわ」

 「ライオンが原形なのだろうが、唐からの伝播の間に想像上の姿態が加わったものとされる」[注3]

 「徳用の神社のときに、参考にした一覧表に村社とか無格社とかがありましたね」

 「私もずっとその意味が掴めていなかったのだが、近年手頃な資料が見つかった」

 

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 ☆神社の格付けを「社格」という。社格の起源は八世紀以降だが、江戸時代にすっかり廃れていた社格制度を立て直すため、明治政府は1841年太政官布告を発した。これにより、伊勢神宮を頂点に官幣社と国幣社を選定し、それ以外の諸社には府県社・郷社・村社・無格社が含まれていた(要約)☆[注4]

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 「町内の神社のほとんどは村社だが、上林の林郷八幡神社だけは、ワンランク上の『郷社』とされた」

 「中世に勢力をもっていたという林一族の氏神的な位置にあったという意味を持つのかしら」

 「中央の政権との関係がうすくなっても、この地では、手取川の荒れ地を開墾した豪族として、それなりの勢威を維持していたのかもしれない・」

 「文献に現れない歴史の一端を、『郷社』の称号が示していると・・。伯父さん一流の推量ですか(笑)」

 

 (2009.11.13)

 [注1]中島康男報告「野々市の文化」1号 -19-

 [注2]「ののいち歴史探訪」 -62-

 [注3]たくき よしみつ著「狛犬かがみ」

 [注4]週刊「神社紀行」No40 -33- 学研社

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