このシリ-ズ冒頭の「僧殺し街道」にちなむ話題を紹介しよう。

 

 暗殺者の小道

 リオ・テッラ・デリ・アサッシ-ニ(暗殺者の小道)という物騒な道の名前がある。ここにかかる橋に、かって「暗殺者の橋」という名がついていたため、地名として残ったという。

 古い時代、ヴェネツィアでは夜間をねらって殺し屋が暗躍した。正体を隠すため、偽の髭(ひげ)がよく用いられた。そこで政府は1128年に、こうした髭を禁じ、夜間の照明に気を配るようになったという。

(陣内秀信著「迷宮都市ヴェネツィアを歩く」より)

 

 

 「薬師如来の額」や「厨子の狐」などで話題になった神仏習合の西洋版ともいえる文章に、つい最近出会った。

 

 合金のような混合体

 しかし支配権力の言説は、そのまま現実のありようとイコ-ルではない。農村の生活世界のなかで、一年に区切りとリズムを与えていたさまざまな祭りを、とってみればよい。

 ほとんどすべての祭りは、キリスト教をも含んだ諸成層からなるものとして、いわば「合金」のような混成体であった。一例として6月24日に行なわれた聖ヨハネ祭という祭りがある。パブステマのヨハネの名が冠せられているように、この祭礼はキリスト教暦の祭礼である。しかしその前夜に、多くの地域で行なわれた火祭りの慣行は、それじたいとしてはキリスト教的なものはまったくない。作物の豊饒(ほうじょう)や、男女の結合と共同体の繁栄が祈られ、あるいは清めの火や煙に体をさらして、健康が祈られた。

 聖なる日に男女が騒ぐのはけしからんと、17世紀後半のある文書は、火の周りでの踊りを断罪する。しかしそれが有効でなかったことは、のちの民俗研究家たちの報告が証明している。

(福井憲彦著「『新しい歴史学』とは何か」-54-)

 

 「神仏習合」は、日本独特の仏教受容の形態などと、長らく信じさせられてきた。だが、上述の引用文を読むと、洋の東西を問わず民衆の宗教への反応には同じようなところがあるのだと、あらためて気づかされる。

 

 (2009.11.13)

わが町歴史探索