農用地が、かっての半分位に減少したとはいえ、今でも当町の農地は水稲作が中心だ。

 

 「今年のコメの出来はやや不良、とニュ-スで見ましたが、伯父さんとこは?」

 「石川県は、加賀・能登と分けて発表され、加賀の作況指数は98。私の処もこの数値に近かった」

 「伯父さんが作っているのは、コシヒカリですか」

 「おもにコシヒカリだが、家で刈り取りから籾摺りまでこなすので、一部『ゆめみずほ』という、少し早く刈れる品種も作ってるよ」

 「ス-パ-に行くと、いろんな種類がありますが、コシヒカリはいつ頃から栽培されるようになったのですか?」

 「私が30代なかばの頃、農協青年部がその導入のさきがけとなって、競作会などをしていたから・」

 「30年くらいも前だと、わたしは小学校に入る前後・」

 「ちょっと待って、コシヒカリ誕生のいきさつを記した新聞のスクラップがあるはず・」(しばし書斎へ)

 

【保温折衷苗代(昭和20年代)】

 

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 ☆昭和22年から、農林省福井農事実験所でイネの品種育成に取り組んでいた石墨慶一郎さん。

 当時、農林1号という品種があった。味が良くて収量も多いが、いもち病に弱い。いもち病に強い農林22号と掛け合わせれば両親をしのぐ子供ができるのでは。そう考えた。

 連日のように試験田に出たが、結果が出るのは年に一回。昭和30年、やっと優れた子ホウネンワセ(豊年早稲)が誕生した。名のとおり、収量は親をしのぎ、早く収穫できるので、台風シ-ズンを避けられる。倒れにくく、病気にも強い。

 「期待以上の優等生ができたんだから、同じ両親の育種は打ち切るところ。でも、熟した姿が美しくて、捨てるには惜しい妹がいたんです」

 それが、翌年育成されたコシヒカリだった。

 「越の国に光り輝くコメに」との思いをこめた名は、最初に奨励品種に決めた新潟県(越後)が、生まれ故郷(越前)にも気を使っての命名だった。☆[注1]

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 「交配による育種なんでしょうが、『姿が美しい妹』などと、石墨技師の言い方がいいわ・」

 「八年間もの丹精の結果だから、捨てるにしのび難かったのだろう。だが、兄貴分のホウネンワセに比べ、食味が品種の判断に大きな比重をしめる昭和50年代まで、まさに雌伏20年でもあった」

 

【ビニール畑苗代(昭和30年代)】

 

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 ☆昭和8年7月中旬のある日、穂ばらみ期で青々とした「農林一号」のたんぼに、ぽつんと穂を出している稲株を、田まわりをしていた米丸村保古(現金沢市保古)の辻興三郎が見つけた。(中略)

 近所の永井幸作に相談したところ、当時、21歳で研究熱心な永井はこの稲を見て、直感的にこれが野菜栽培のためになる稲であると思い、八月の盆過ぎ、大切に抜き取った。それから数年間、苦労して選抜を繰り返し、ようやく固定した品種として栽培できるようになった。「農林一号」より一週間も早く収穫できるので「早農林」と名付けられた。

 永井の着眼はすばらしく、「早農林」はその後、金沢平野全域に急速に普及してゆき、昭和30年、県内での栽培面積率は9%余に達している。昭和24年には、石川県の認定品種とされ、「加賀みのり」が出現する昭和34年まで、水田裏作の白菜や大根栽培のための、重要な品種として活躍した。☆[注2]

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 「さきの人為的な交配と違い、自然に発生したものからの選抜という方法だよ」

 

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 ☆嘉永六(1853)年の六月十九日(旧暦)の朝、水田を見回っていた西川吉平は、水稲品種「巾着」(きんちゃく)の中に、籾についている芒(とげ)が無い、粒の揃った一穂を発見した。吉平はこれを三年がかりで増やして水田一枚に作付できるようにした。

 この新品種は「吉平坊主」と言われていたが、後に地名をとって「大場坊主」または「大場」と呼ばれた。

 従来の品種にくらべ耐肥性の強いこの品種は、明治十年代から普及されたれんげ草とも結びついて作付が増大し、大正八年には本県の水田面積の36%をしめるまでになった。昭和7年まで、奨励品種とされ、藩政末期からの長期間本県の米つくりに貢献してきた。☆ [注3]

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 「画期的な事例のみピックアップしたが、この周辺には、似たような農民が沢山居ての結果だと思う」

 「普段、なにげなく食べているご飯。じつは、先人たちの知恵の産物なのですね」

 「いく世代にもわたる、品種改良へのたゆみない努力の積み重ね。これぞ『稲作文化の中核』と言っても過言ではないだろう」

 (2010.1.5)

 [注1]朝日新聞 S62-8-22 お米はどうなるか-5-より

 [注2]中島康雄 「石川の農村を支えた人びと」-76-要約

 [注3]宮森久男    ”          -81-要約

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