「伯父さんとの『わが町歴史探索』も、随分回を重ねましたね」
「そうだね、もう30回くらいかな。たってしまうと、いつの間にそんな回数になったのかな・という感じなのだが」
「用水脇の遊歩道で偶然出会ったのが、始まりでした。歴史など古臭い、今の私と関係無い、などと思っていましたが、私たちが住む場所や年中行事という現在こそ、先人たちの長い営みの積み重ね(歴史)の上に成り立っている。伯父さんと話していると、そこが少しずつ解りかけてきました」
「史さんが相手だから、知ったかぶりに話したことも多い(笑)が、手探りで内心冷や汗ものも少なくない・」
「いえ、そんなことないわ。伯父さんと話すと、自分も少しは勉強しなくちゃと思うんですが、なかなか実行できなくて・」(笑)
「私も若いころは、郷土史など老人趣味くらいの意識だったよ。50歳代になったころから、近辺の寺や神社あるいは地名などの由来に関心が向き始めた。例えば1997年8月日付のメモだが、
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☆「拝師(はやし)郷」 拝師郷 天歴以前 右称林郷、准大宝詔、取二字佳名也、今復作林郷、従簡易也 (石川訪遊記)☆(注1)
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と記されている。また、その下に
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☆「和名抄」所載の郷。高山寺本に「波世之」、東急本・刊本に「波也之」と訓ずる。郷域は現野々市町上林・中林・下林を含む手取川扇状地東側から扇央部東半にかけての地区に比定される(日本歴史地名体系17)☆
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と書きくわえてある」
「なんだか、堅苦しい感じですね」
「そう、必要最小限の記述だから、そっけ無いものだよ。地元のことだから、それでもメモくらいは残してきた。五年十年たち、こんなメモ書きのファイルがある程度厚くなってくると、学校時代にいやいや習った歴史との関連というか、郷土での出来事とどうつながるのか?という関心が生まれ、今はそういう視点での本の読み方になっている」
「そのあたりが、伯父さんの話がおもしろく聞ける理由なのかな・」
「そんな時、次の文章に出会った」
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☆日本では郷土史という名のもとに、地域の開拓や交通・産業・土豪や旧家、神社や仏閣の沿革が共通の関心となっており、どの地方でも必ずといってよいくらい郷土史研究者がいるものである。どの地域の歴史も、より広域な社会の歴史と結びつくはずであるが、ややもすれば郷土史の愛好者たちの関心は郷土独自の話題に向けられるあまり、歴史学の中では孤立しがちである。
こうした郷土中心の関心のあり方や歴史認識は、郷土の人々の生活現実に基づき、自己中心的な認識に立つもので、けっして体系的歴史の中に自身を位置づけようとするものではない。☆(注2)
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「一人合点ということですか。『自慢らしい』という言葉を子供のころによく聞いたけれど、そんなニュアンスかしら」
「そう。虫の目ではなく、鳥の目で郷土を見ようということだろうな。例えば、富樫家国の銅像がフォルテの前庭にあるが、建立の推進母体は『富樫卿奉賛会』という。中世の歴史を少しかじると、この卿という文字に違和感を覚える」
「どういうことですか?」
「私が下手な説明をするより、一つふたつ例をあげよう」
【フォルテの富樫家国像】
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☆貴族の中で三位(さんみ)以上の上級のものを、とくに公卿といい、今日の閣僚クラスにあたる☆(注3)
☆道長時代の終りに近い1012年(貫弘9)の宮廷貴族の状態を見ると、非参議まで全部含めて公卿と呼ばれるものは僅かに25人にすぎず、そのうち19人が藤原氏で、中納言以上は全部道長一門で占められていたといわれるが、これは宮廷貴族の社会が意想外に狭いことを示すよりも、むしろ宮廷貴族以外の零落した貴族の広汎な層の存在を考えさせるものである。
この層は地方に移住するか、または孤独な都市の住人に零落したものと考えねばならない。☆(注4)
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「加賀の国司に任命され藤原末流を名乗った富樫の先祖は、確か従五位下でしたね」
「位は言わずもがな、まして地方に派遣された当時としては下級官人が、公卿と呼ばれるなど、本人の方がくすぐったいだろう」
「会への賛同者を募る際、中央から下ってきた人への尊称のつもりが、オーバーになってしまった・・」
「例えそうだとしてもね・。敬うことと根拠のない讃仰とは、似て非なるもの。いつまでも、看過されているのは疑問だよな」
「市制をしくなら、今のうちに正すべき・。それが伯父さんのホンネですか」
「まあね。(笑)むやみに崇め奉るのではなく、客観的な史観で富樫を語ってほしい・というところかな」
(2011.8.30)
[注1]舘残翁著 「富樫氏と加賀一向一揆」―17―
脚注;拝師(はやし)郷は、天歴以前には、林郷と称した。大宝の詔に准じて、二字を取った佳名也。今また林郷となす、簡易に従う也。
[注2]伊藤 亜人著 「韓国」―140―
[注3]高橋 昌明著 「中世の光景」―34―
[注4]石母田 正著 「中世的世界の形成」―342―
わが町歴史探索