「今日は方言がテーマだから、おんぼらっといこまいか(笑)。前もって配布した事例がこれだが」

 

 子供のころ、大人のいいつけに素直に従わないと「ばっかいならん」と叱られ、祖母や母から「うたてな子や・」と嘆き節を聞かされた。幼少期は言葉の意味は分からなくとも、何か不都合なことをしたらしい、評価の悪いことと了解していたようだ。

 

 「それに関して、こんな話知っとるけ・」

 

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 曽祖母は、頭が痛むときなどは、ためいきついて「うたてやの・・」といった。私は「うたて」を大阪弁だと思い込んで育ったから、後年、国文科へはいって「源氏物語」のテキストに「あな、うたて」(おお、うっとしい)という言葉を見つけたときは一驚した。(注1)

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 「富奥郷土史」の資料集《方言》のなかに、ウタテナと表記し『心配な』とその意味を記している」

 「わしらも、若いころはここら辺だけで通用する言葉だと思い込んでいたな。最近、文庫本で読んだ『古事記』の中で、スサノヲの行状を記す文中に

 

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 なほその悪しき態(わざ)止まずウタテありき。(注2)

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 という一行に出会った」

 

 「ほうか。ウタテは『古事記』にまで遡れるのか。1400年も前の言葉が、連綿と当地では通用していたんか!」

 

 昭和30年代ころまでだが、近隣の家に病気や怪我など思いがけない不幸があると、周囲の老人たちの語り口には「誰それさん、いとっしゃのう・」という同情の言葉が交わされていた。

 

 「いま風に言えば、心の痛むこと・という意味だよね」

 「ほや、おおとる(そう、合っている)。(笑)ここにも具体例があるよ」

 

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 淀河の底の深きに、鮎の子の、鵜といふ鳥に、背中食はれて、きりきりめく、いとをしや。 イトホシは痛ハシの転で心痛むのをいう。(注3)

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 「『梁塵秘抄』だと、編者は後白河法皇だったね。800年以上も前の平安時代だ・」

 「心痛はし->痛はしや->いとっしゃ、と少しずつ変形して今に残った?」

 「ここまでの流れを端的に要約した大野晋氏の言葉がある」

 

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 「方言」の大部分は、言葉の新旧交代によって、古い形が地域的に残り、それが特別なものと見られるようになったものと思われます。(注4)

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 「簡にして要を得てる。これまでの疑問が一挙に解消されるね。」

 「なんか、推理小説の謎解き的なおもしろさだな・」

 「中高校生時代に読んだシャーロック・ホームズを思い出す・」(笑)

 「最近の若者ことばのウザイはウタテナに近いかもしれんな・」

 「心情や心持ちをあらわす言葉は変わりやすいのかな」

 

 「話の方向をちょっこし変えまいか。野菜ものの名前についてだが、

 

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 水質の悪い西安では、西瓜が喉をうるおす何よりの水分である。西瓜は、文字通り西域から来た瓜のことである。(略)胡という字のつく胡瓜・胡桃・胡麻・胡豆(そらまめ)・・すべて、シルクロードを通って西域から渡って来たものばかりである。(注5)

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 「平安時代の京のみやこどころか、唐代の中国語がそんなり生き残っとるのか・」

 「中国でも、発音は変わっとるかもしらんが、使こうとる漢字は一緒かも・・」

 「うえー、研究対象が拡がりすぎて、どもならん・・」(笑)

 「野菜というたら、ナス(茄子)だが、

 

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 「奥の細道」の中に、食に関係ある記述といえば、金沢でよんだ『秋涼し 手毎(てごと)にむけや 瓜茄子(うりなすび)』の句・(略)(注6)

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 というのがある」

 「清音のナスにビという濁音がつくと、いかにも田舎じみた感じだが、江戸時代はナスビが共通語だったということか」

 「ほういゃー、『瓜の蔓にはナスビはならぬ』ということわざは、今でも通用しとるな」

 「おっ、うまい。わしらの方言研究もここらへんで仕舞おうか・」

 「力量をこえん程度のところで・・」(笑)

 

 (2014.5.15)

 注1; 田辺聖子著「大阪弁ちゃらんぽらん」-53-中公文庫

 注2; 「古事記」

 注3; 西郷信綱著「梁塵秘抄」-54-

 注4; 清水義範編「日本の名随筆 別巻66 方言」-175-

 注5; NHK出版刊「シルクロード巻1」-123-

 注6; 山本偦著「旅の楽しさ」-141-

 参考文献;北国新聞社刊「新頑張りまっし金沢ことば」

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