錦秋の季節も足早に過ぎ、早くも枯葉が舞い落ちるころとなった。例の郷土史三人衆がS店でコーヒーカップを手にしている。

 

 「今年はもみじがきれいな年だったね」

 「欅や銀杏も雨風に打たれなかったから・・」

 

 「先ごろ、《中国絵画入門》という本を読んでいたら、こんな図(注1)があった」

 「馬ですか・。そう言えば富樫政親だったか、馬の絵が遺されているね」

 「金沢工業大学が所蔵する絵(注2)のことだろう。中央公民館の二階に展示されているのを見たことがある」

 

 「その絵かどうかは分からないが、雪舟に褒められたという伝聞があるらしい」

 「そう。最初に雪舟と富樫家の接点(縁)を世に広めたのは、当市の郷土史の先達舘残翁のようだ」

 

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 - 尤も富樫氏としては世々雅懐ありしは、画聖雪舟を招き絵画を習ひ、其弟子等春滞留三年に及びたる史実あり(等伯画説)・・―(注3)

 - 又優しくも政親・晴貞が画意あり、殊に画聖雪舟を京洛の地より聘し来るが如き・・―(注4)

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 「舘残翁の著作は復刻版で出ているが、分厚い本だ。あれを読みきったのですか・」

 「いや、ざっと目を通したくらい。20年くらいも前だから、まだ初心者レベル・。この抜粋は最近読み直して見つけたもの」(笑)

 「彦さんにはかなわないな」

 

 「実は、近年七尾出身の長谷川等伯が小説になったりして話題になることが多いが、私はそちらからの関心でM図書館の書棚で偶然その手掛かりを得た」

 「それがこの資料? 物事への関心は一方向からだと遠い道のりでも、角度を変えると意外に簡単に解決することがままあるよね」

 「まさにそんな感じだよ。何気なく目を向けた全集本の中に《古代中世芸術論》という背文字。この中世芸術という文字に、もしや等伯・と手にした」

 「彦さんの直観・・」

 「そこまではいかないんだが、目次を見ると『画説 長谷川等伯物語之記』。さらにそのページを繰ると、冒頭に雪舟の文字があった。そこからは、向こうから答えが歩いてくる・」

 

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 ― 加賀ノ富樫、絵ニスキ給。雪舟画修行ノ時、等春ヲツレテ到彼国。雪舟ハヤガテ上洛、等春ハ三年逗留也。雪舟ノ云、富樫殿ハ馬一段見事ニテ候程ニ、馬バカリ可有御書候、別ノ物御無用也ト。依之馬斗カキ玉フ也。(略)-(注5)

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 「ページ数が少なかったから・」

 「図星だよ。(笑)今ではカタカナ混じりの文章は読みづらいからね

 

 「等伯は、雪舟五代と自称したそうだが、その画聖雪舟から認められるだけの絵を描けた政親。その才が政治の場で発揮されていれば、一向衆との関係も別の展開になっていたやも・・」

 「引用文の読み方(解釈)によるが、馬ばかりというところがポイント・。何でも器用にこなせたわけではなかった」(笑)

 「まあ、政治の世界は多勢の人間が関わるから、一人の領主の力量だけでは動かせぬことも多いのでは・・」

 

 カフェインが効いてきたのか、論が思わぬ方向に展開したが、富樫氏と絵の論議はこのあたりで・・。席を立ちながら、

 

 「最初に紹介した馬の絵は、中国絵画史の中でも最高傑作のひとつとされるとあったが、政親が描いたものと比べてみるのも一興じゃない?」

 

 

 (2015.1.30)

 注1:宇佐美文理著 「中国絵画入門」‐119‐

 注2:野々市町「図解 野々市町の歴史」-45-

 注3:舘残翁著 「富樫氏と加賀一向一揆史料」‐322‐

 注4: 〃                 ‐6‐

 注5:日本思想体系23 「古代中世芸術論」-707‐

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