黄金色の穂波と苅田がモザイク状の九月上旬から三週間。秋の彼岸をむかえる頃には、一面の苅田が広がる景色に変わっている。その一角に新しい観音像が一体建立された。

 

 

 「あなたの在所で、観音像か何かを建てたと小耳にしたが?」

 「旧集落の火葬場跡地を整備し、そこに小振りだが観音様を一体据えたんだ」

 「市町村など公営の火葬施設が整備されて、30年以上もたっているのでは・」

 「そのあたりの経緯やかっての習俗を、後世に伝えようという趣旨で懇志金を募って建立したというわけ。台座に簡単な銘文も添えたが、ここにその原稿がある。」

 

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 - かって、この地は(旧)集落の火葬場であった。

 「さんまい」とも称され、幾多の先人がここで、荼毘にふされている。

 だが、公的な斎場が整うにつれ、昭和52年の供用を最後に、火葬場としての使命は閉じられた。以後集落の共用地的な機能も果たしていたが、近年は空閑地化していた。この度、有志から懇志を募り整地立像のうえ、古俗を記して銘とする。

      平成28年4月記 -

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 「誰が作ったのか? 簡略で要点を押さえている文だな」

 「組織としては、生産組合が主体となって工事発注などに携わったが、私より一回りも若い人たちが役を担っているので、古い時代の事情が理解できない。

 私らがかろうじて、この間の断片的な知識を動員して、銘文(案)を作り、役員会に提示したところ、そのまま採用されたというわけ」

 「紙に残す記録とは違って、あまり細かいことは盛り込めないもの・」

 「そこなんだが、会議でいきなり銘文(案)の可否を諮っても、『これ何?』ってことになるので、幾つかの参考資料を先に説明した」

 「『さんまい』など、初めて聞くと、まさに?マークだよね」

 「過去の蓄積というか、永年の読書で得ていた知識がこういう時に生きてくる」

 

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 -火葬場・焼き場・墓地などというと、現代では忌避されがちな場所になってしまっているが、古代の人々は決してそんな風には思っていなかった。「無常所」といったり、「三昧場」と往古よんでいた通り、墓所や焼き場は「無常」を感じ、「三昧(定)または(寂静)の意」にふける場所であったのだ。-(注1)

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 「いまでは、葬儀後公的な斎場で火葬して骨を拾うのが当然のようになっているが、4~50年前まで、このあたりの集落では自分たちの手で火葬していたのだよね」

 

 「それに関してだが、死者を葬る方法としては、火葬はむしろ少数派だったようだ」

 

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 - 日本人も、元来は火葬国民ではない。第二次大戦後、全国の中小都市の町村合併による組み換えが進み、農山漁村部の都市繰り入れによって、都市ごとの火葬条例に伴って、火葬が普遍化するまで、火葬を習俗としたのは、北陸三県の一向宗地域と、同じく安芸門徒の影響の強い広島・山口、計五つの県にとどまっていた。他の地方は、すべて土葬を習俗としていた。-(注2)

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 「小説や映画など、野辺送りの場面になると、何だか違うな・と印象を受けていたが、そういう事情がからんでいたのか」

 「さんまいという呼び名も、子供の頃はてっきり方言というか、田舎くさい言葉と思っていたが、むしろ精神性の意味合いが高い言葉と知らされた」

 

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 ― 「三昧」とは、心を一か所に保つ、つまり心を一対象に集中して乱れない精神状態をさす。同じ仏教の語である「禅」とか「定」とかいうのと同系統の語である。「法華三昧」という語があるが、これは天台宗で法華経により中道実相の理を観ずることを言っている。また「念仏三昧」という語もある。雑念を払い、専心に念仏することをいう。-(注3)

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 「広辞苑とか百科事典的な説明で、火葬場とは直接結びつかないが?」

 「同じ池田さんの文章の中に、次のようなくだりがあった」

 

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 - ところが、「三昧」という語は、日本では、フォークロリックな意味では、広く墓場を表している。この橋渡しとなる言葉に「三昧場」という語がある。三昧場というのは、僧が死者の冥福を祈るために墓地の近くに設けた堂をいうのだが、後には墓場のことをも三昧場というようになった。「三昧」という語が本来の意味ではなく、この墓場の意味で使われている例は、三重・石川・福井・長野など全国あちこちにある。-(注4)

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 「ものごとは、知らなかっただけで、調べると必ず誰かが記録として残しているものだね」

 「そんなこんなを勘案して、旧集落の古い習俗を偲ぶよすがに・と遅ればせながら、火葬場跡地を整備しようという話になった」

 「ものごとの変化は、時代の趨勢として従がわざるをえないが、先人達が伝えていた習俗を、こういう形で記銘するのも大切だよね」

 O;「口伝えによる伝承の機会が少なくなっているから、石碑に刻んでおけば、最低限のことは後世に伝わっていくだろう」

 

 (2017.4.27)

 注1:浅見和彦著「日本古典文学旅百景」-15-

 注2:益田勝美著「古代人の心情「講座、日本の思想1」-11-

 注3・注4:池田弥三郎著「日本故事物語」より要約

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