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第六章 明治以降
(第十節 野々市町との合併)
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==第十節 野々市町との合併==

 

第十節 野々市町との合併

  「わが国における民主主義的傾向の復活強化」をうたったポツダム宣言を受諾して、大東亜戦争は終結したのであるが、憲法改正の問題を頂点として国政全般にわたる制度の民主化が進められ、地方制度についても府県知事の公選制断行を中心とし、地方自治制の徹底的民主化が検討されることとなった。

  昭和二十一年九月には新憲法の施行に先立って道府県制、市制、町村制が改正され、民主主義の原理に基づいて、府県、市町村の制度が再編成され、二十二年五月三日、新憲法の施行と同時に地方自治法が施行された。また、各般の行政制度について相ついで民主的改革が行われ、市町村の権能と責任は著しく増大されることとなった。

  即ち、六・三制の採用による新制学校の建設、農地改革の実施、消防組織の民主化、社会福祉施設の拡充、保健衛生施設の充実、食糧増産対策など市町村の事務処理を要するものがにわかに増大した。ここにおいて規模の小さい弱小町村は、全面的に財政難に陥って、維持していけないこととなり、町村合併はさけられないものとなった。

  これに拍車をかけたのは連合国総司令部の招きにより来日したシャウプ税制使節団で、来日して数ヵ月にわたり地方財政の実態を調査し、わが国の税制制度の改革を勧告した。その勧告の中で市町村の合併も考慮すべきであると指摘してから、全国的に合併機運を高めることとなった。

  昭和二十八年十月一日、町村合併促進法が制定され、石川県でも町村の実態調査に基づく各種資料を基礎とし、地方財政事務所長の意見も考慮して、町村の再編成に関する立案作業が進められることとなった。そしてその第一次試案を発表したが、これによると野々市町・額村・富奥村・押野村・安原村の一町四村を合併する計画であった。が、額村と安原村は交通、文化、経済の点で密接な関係にある金沢市に合併する態度を早くとり、昭和二十九年三月にはそれぞれ議会において金沢市編入を議決した。このため、同年四月の第二次合併試案では富奥村と林村・舘畑村・山島村・林中村の五村、野々市町と押野村の二町村合併を図ったが、富奥村ではこの合併案を全然問題とせず、村を挙げて野々市町に合併の態度でのぞんだ。

  一方、野々市町では第一次試案に対し、第二次試案が小規模となったため、一時は金沢市編入の動きもあったが、町民の町村合併に対する意向について、町内ごとに常会を開いて協議を行った結果、野々市ブロック四ヵ村(野々市・押野・富奥・郷)の合併方針を堅持することとなった。

  そして二十九年七月二日、野々市合併促進協議会結成準備会が発足することとなった。しかし、郷村については松任町、押野村については金沢市からそれぞれ積極的な合併勧誘があるため両村とも野々市町合併には村民の意思統一が出来ず、数次にわたる野々市ブロック合併呼びかけにもかかわらずなかなか結論が出なかった。

  このような情勢から一応態度の決まっている野々市・富奥両町村で合併し、その後押野・郷村の野々市合併部落の参加を得て新町を建設することを申し合わせ、富奥村へ申し入れた。この結果、昭和三十年二月十八日開催の富奥村との合併協議会において意見の一致を見、同二十三日、野々市町議会で富奥村との合併案を議決、翌二十四日には富奥村議会においても野々市町と合併宣言を議決、同年四月一日、新町発足を目ざすこととなった。

  なお、合併条件は次のとおりである。

 合併条件(脇定事項)

 一、第一次合併分(野々市・富奥)

   1、議員の任期について

   昭和三十年四月一日新町発足後、現議員の任期を昭和三十一年三月三十一日まで延長する。

   2、選挙について

   合併後初めて行う選挙に限り、選挙区を設け、現町村をそれぞれ一選挙区とし次のとおり議員を配当する。

   現 野々市地区 一四名   現 富奥地区 八名   計 二二名

   3、助役および収入役の定数について

   新町の助役は一名、収入役は一名とする。

   4、一般職員の身分取り扱いについて

   合併の日をもって新町職員に任用する。希望退職者の優遇措置として退職条例を設け、新町において支給する。

   関係職員の勤続年数は新町に通算する。職員の給与は原則として現在給与額を下げない。また、旧町村支給額に相互不均衡の点は、順次これを是正し、適正を期する。

   5、特別職の身分について

   旧町村の特別職は新町の職員として任用することが出来る。退職者は特別功労あるものとして配慮する。

   6、自治功労者の取り扱いについて

   合併町村の自治功労者は現町村において表彰する。ただし各町村脇議し同一の取り扱いをする。

   新町建設の功労者は新町において配慮する。

   7、財産および造営物の帰属処分について

   旧町村の財産および公共施設は現状のまま、一切これを新町に引き継ぐものとする。

  8、町村税滞納処分について

   町村税滞納整理は全力を集中し、完納を期する。

   9、農業委員会の組織について

   現在の町村農業委員会は当分、地区において現在のまま存置する。

  10、予算措置について

   昭和三十年度予算は昭和二十九年度決算見込み額を資料として検討する。

  11、地方税の賦課率について

   町村合併後、ただちに均等課税とする。

  12、字名の呼称について

   新町の名の下に旧町村部落区名を付することを原則とするが、なるべく統合可能なものは統括する。

  13、区長の設置について

   現在の区長または部落会長を区長に委嘱し、任期は一年とする。

  14、国民健康保険について

   合併後、ただちに新町全域の国保を実施する。

  15、監査委員の実施について

   新町に監査委員を置くものとする。

  16、議会の常任委員会について

   議会に常設委員会を置き、次の部門を設ける。税務、財政、厚生、経済、土木。

  17、教育委員会について

   町村合併促進法により選挙による委員の数を四名とし、野々市町、富奥村各二名とする。任期は昭和三十一年三月三十一日までとする。

  18、金融機関について

   新町の歳入歳出余裕金を預入する金融機関は従来の金融機関とする。

  19、災害復旧事業について

   昭和二十七、二十八年度災害復旧事業は継続実施する。

  第一次合併後の人口戸数

           新  町      合 併 前 の 旧 町 村

    人  口   五、九二〇人    野々市 三、九〇一人  富奥 二、〇一九人

    戸  数     八九〇戸    野々市   五七〇戸  富奥   三二〇戸

 富奥村閉村式

  明治二十二年四月一日に誕生した富奥村も昭和三十年三月三十一日を終止符として、時代の要請にこたえて六十六年の歴史を閉じることとなった。天下の富奥村を自任し、一村一心を標榜し、村民の融和を一義としてきた富奥村民が、新生野々市町にとけ込み、町発展の推進力たり得るかどうか。いちまつの不安を持ちながらも産業、経済、文化の発展を新町に期待し、三月三十一日、富奥小学校講堂において、公職者はもちろん、ほとんど全世帯からの出席を得て、閉村式を挙行した。当日は午後二時から野々市町合併を記念し架設した多数共同電話の開通式を、続いて午後三時から閉村式に移った。式後宴会に移り、過去の富奥を語り、未来の野々市町を展望して論じ、夢と希望を新町に託して、ますます一致団結の決意を堅くして散会した。




 ▲ 1:第一節 明治維新と廃藩置県 2:第七節 郡制と郡会 3:第八節 三役と村会 4:第九節 各字と区長 5:第十節 野々市町との合併