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年表、編纂経過、参考文献
(編纂経過)
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 [part1]

 

年表

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==編纂経過==

 

編纂経過

 ◇昭和四十七年五月二十九日

 本年二月に開催された富奥地区協議会及び四月の富奥公民館運営審議会に於いて話題となった郷土史編纂について、第一回の富奥村誌編纂世話人会を、公民館・村の家に於いて開催。編纂委員の選任等について協議する。

 世話人

 野々市町教育委員長         中野 久男

 野々市町教育委員会公民館主事 佐久間由孝

                        上野 由雄

                       藤多 三夫

 富奥公民館長             村井幸次郎

 ◇昭和四十七年六月十一日

 第二回世話人会を公民館に於いて聞き、七月開催される富奥地区協議会に諮り、同意を得るため、地区の町会長会にお願いし、各部落に編纂・調査委員の選出方を依頼し、発足する運びとなる。

 ◇昭和四十七年七月十五日

 富奥地区協議会の第一の議案として、村史編纂委員会の発足が、全員の同意を得て決定したので、規約、組織を定め、委員を依嘱をする。

 ◇昭和四十七年七月二十五日

 第一回編纂委員会を開き、編集にあたリ、各委員の分担、資料収集につき話し合い、研究課題とする。

 ◇昭和四十七年七月三十日

 第一回編纂委員会を開き、?編集計画を立案、わが郷土史は富奥の特徴のあるものにしよう。?カメラ班の編成、?調査(部落)委員との調整。?資料集収にともなう資金計画。

 ◇昭和四十七年八月十一日

 第二回の編纂委員会を開く。先に計画した編集方針を再度研究し決定する。調査(部落)委員との会合について打ち合わせする。

 ◇昭和四十七年八月十三日

 編纂委員・調査委員・役員の合同会を開く。?村史編纂の年次計画。?編纂の内容、?各委員会の分担等を定め、準備体制を整え、金大教授米林勝二氏より編纂について細部にわたる指導を受ける。

  なお、席上、左記のようなチラシを全戸に配布することを決定する。

 富奥村誌の編纂とお願い

  古いものが私達の周囲から遠ざかり、忘れられ、時代は新しいものを求めて、躍動しなから、平和な社会へと発展しつつあります。

  しかし、残されたもの、一木一草といえども、すべて祖先が血のにじむ思いで築きあげた尊い遺産なのであります。それらを正しくうけ継ぎ守り伝えるのが、私達のつとめではないでしょうか。しかるに最近そのかけがえのない遺産が、次々と姿を消し、失われていくありさまであります。発展と飛躍のためとはいえ誠にしのびないものがあります。

  このたび皆様方多数の要望により、富奥の伝統と歴史を調査し、村誌としてまとめ若き世代へ贈りものとし、後世にこれを伝え残そうと思います。

  村誌の編纂は、何分にも大事業でありますので、皆様方からの資料提供と、今後調査委員に心からなる御協力御支援をお顧い申し上げます。何年かかるか、いまのところ見当もつきませんが、計画をたてて進みたいと存じます。また経費も相当額かかると存じます。いずれ区長さんを通じてお願い申しあげることと思いますが、資金のことについても、格段のご援助とご協力をお願い申し上げます。村詩発刊の日が一日も早くなるように努力致したいと存じます。

  皆様方からのご意見、ご感想などご遠慮なくお寄せ下さい。

  重ねてご指導、ご協力をお願い申しあげてご了解をいただきたいと存じます。

  昭和四十七年八月

        富奥村誌編纂会

          (公民館内に事務所を置く)

 ◇昭和四十七年八月二十日

 第三回の編纂委員会を開き、先に決宅した編纂内容について研究、カメラ班に専用カメラの購入を決定。

 ◇昭和四十七年十月六日

 第一回の役員会を聞き、編集事業推進について話し合う。

 ◇昭和四十七年十月十八日

 第四回編集委員会を聞き、編纂計画にもとづき、委員の担当割を決定。

 ◇昭和四十七年十月二十五日

 第五回編集委員会を開き、県及び市立図書館や郷土資料館を訪問して、各自の研究調査を開始。

 ◇昭和四十七年十二月十六日

 第六回編集委員会を開き、講師として北国出版社より浅田企画課長を招き、指導を受けた。

 ◇昭和四十八年一月二十六日

 第二回役員会を開き、編纂事業につき協議し、資料集収の方法等協議する。

 ◇昭和四十八年二月九日

 第七回編集委員会を上林公民館にて開き、部落の古老達と「上林を語る」座談会を実施。

 ◇昭和四十八年二月十三日

 第三回の役員及び編集委員会を開き、出版及び調査・編集につき二月九日に実施したごとく各部落を廻り座談会を行うこと。

 ◇昭和四十八年二月十四日

 第八回の編纂委員会を中林公民館で聞き、部落の古老たちと「中林を語る」座談会を実施。

 ◇昭和四十八年二月二十日

 第九回の編集委員会を、末松公民館にて開き、「末松を語る会」を部落の古老を中心に座談会を実施。

 ◇昭和四十八年二月二十四日

 第十回の編集委員会を下林神社々務所にて開き、「下林を語る会」を古老(男女)達と共に座談会を実施。

 ◇昭和四十八年二月二十六日

 第十一回の編集委員会を下新庄公民館にて開き、部落の方々と「下新庄を語る会」を実施。

 ◇昭和四十八年二月二十七日

 第十二回編纂委員会を、清金区五香宅にて開き「清金を語る会」を部落の方々(男女)と実施。

 ◇昭和四十八年三月一日

 第十三回の編基委員会を、矢作区山原宅にて開き、古老達を中心に「矢作を語る」座談会を開催、資料の収集につとめる。

 ◇昭和四十八年三月二日

 第十四回の編纂委員会を粟田区の土地区画整理組合会議室で開き、部落の方々全員と「粟田を語る」座談会を実施、資料の収集につとめる。

 ◇昭和四十八年三四日

 第十五回編集委員会を三納公民館にて開き「三納を語る」座談会を実施。

 ◇昭和四十八年三月五日

 第十六回編集委員会を藤平区進村宅にて開き、部落の方々と「藤平」を語る会を開く。

 ◇昭和四十八年三月七日

 第十七回の編纂委員会を開き、位川区の中山武二氏と語り合う。

 ◇昭和四十八年三月九日

 第十八回の編集委員会を太平寺神社々務所にて開き、部落の古老を中心に「太平寺を語る」座談会を実施。

 ◇昭和四十八年三月十一日

 第十九回の編纂委員会を藤平田神社々務所にて開き、古老達と共に「藤平田を聞く」座談会を実施。

 ◇昭和四十八年三月十六日

 第二十回の編隼委員会な上新庄区で聞き、区民の方々と共に「上新庄を聞く会」を実施。

 ◇昭和四十八年七月八日

 役員及び編纂委員の合同会議を聞き、北国出版社浅田先生より資料収集及び原稿の記載等につき聞き、米林金大教授より神社・寺院等につき調査の指導を受ける。

 ◇昭和四十八年七月十二日

 第二十一回の編纂委員会を開き、資料鑑定の方法及び写真撮影につき検討。

 ◇昭和四十八年十月二十七日

 第二十二回の編集委員会を開き、専門委員毎に、各自の資料収集のため、野々市町役場、金沢、松任、鶴来に出張。

 ◇昭和四十八年十一月一日

 第二十三回の編纂委員会を開く。各自の資料、内容の検討。館報「富奥」の資料につき検討。

 ◇昭和四十八年十一月五日

 館報「富奥」を発行、全戸に配布。内容は村誌編纂状況。

 ◇昭和四十八年十一月十六日

 第二十四回の編集委員会を開き、調査資料の打ち合わせ、調査用のプリソト、用紙を配布。

 ◇昭和四十八年十二月十六日

 第二十五回の編纂委員会を開き、調査資料の検討及び各委員の再分担、写真について打ち合わせ。

 ◇昭和四十九年一月十四日

 第二回の編纂総会を開き、?現在までの編集状況の報告。?予算審議。?今後の方針等を決定する。第二回館報「富奥」を発刊。

 ◇昭和四十九年二月四日

 第二十五回の編纂委員会を開く。資料原稿の検討。

 ◇昭和四十九年三月八日

 第二十六回の編纂委員会を開く。原稿の検討、出版社へ原稿提出日程上の打ち合わせ。

 ◇昭和四十九年五月二十六日

 第二十七回の編纂委員会を開く。資料及び写真の整理。

 ◇昭和四十九年六月九日

 第四回の役員、編纂委員合同会を開く。村誌全般につき、内容の検討。

 ◇昭和四十九年六月二十六日

 第二十八回の編纂委員会を開く。六月九日の合同会の時点での不備な部門に付き、各委員の資料収集の状況、内容の検討。

 ◇昭和四十九年七月五日

 第二十九回編纂委員会を聞く。資料、内容の検討。

 ◇昭和四十九年七月七日

 第三十回の編纂委員会を開く。資料、内容の検討。

 ◇昭和四十九年七月十日

 第三十一回の編纂委員会を聞く。資料、内容の検討。

 ◇昭和四十九年七月三十一日

 第三十二回の編纂委員会を聞く。

 ◇昭和四十九年八月十日

 第三十三回の編纂委員会を開く。

 ◇昭和四十九年八月二十日

 第三十四回の編纂委員会を開く。

 ◇昭和四十九年八月二十八日

 第三十五回の編纂委員会を聞く。

 ◇昭和四十九年九月二十一日

 第三十六回の編纂委員会を開催。講師に北国出版社芳井先一編集長をまねき、原稿の最終のまとめにつき打ち合わせる。

 ◇昭和四十九年十月二日

 第三十七回の編纂委員会を開き、内容を検討。

 ◇昭和四十九年十月五日

 調査委員及び編纂委員の合同会議を開き、村誌編纂全般及び出版について検討する。

 ◇昭和四十九年十月二日

 第三十七回の編纂委員会を開き、内容を検討。

 ◇昭和四十九年十一月十五日

 第三十八回の編纂委員会を開き、原稿提出日を決定、原稿内容の最終検討。

 ◇昭和四十九年十一月三十日

 第三十九回の編纂委員会を開き、村誌の名称につき検討。役員全員よりアンケートにより公募すること決定。

 ◇昭和四十九年十二月六日

 第四十回の編纂委員会を開く。北国出版社芳井編集長来館。第一回分の原稿を提出。予約申込書に付き検討。第二回(最終回)の原稿提出日の決定。

 ◇昭和四十九年十二月二十三日

 第四十一回の編纂委員会を開き

 一、アンケートによる誌名の決定。

 二、第二回提出の原稿の検討。

 三、資金(出版資金)面の報告。

 四、その他(予約案内状につき)

 ◇昭和四十九年十二月二十七日

 第四十二回の編纂委員会を開き、第二回目の原稿を提出。

 ◇昭和五十年一月十三日

 第四十三回編纂委員会を開き、アンケートの結果をもとに誌名を『富奥郷土史』と決定。予約書の発送につき協議。

 北国出版社と「出版契約書」を取りかわす。

 ◇昭和五十年一月十七日

 予約申込書の発送作業を編集委員、調査委員会合同にて行う出身者七九八名に発送。

 ◇昭和五十年一月二十三日

 地区内へ予約募集のチラシを配布する。

 ◇昭和五十年二月五日

 顧問、相談役、編集委員、合同会議を開き。編纂経過の報告今後の事業推進こついて協議。

 ◇昭和五十年四月十九日

 第四十四回編纂委員会を開き、校正につき協議。北国出版社芳井編集長来館、指導を受ける。

 

 

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