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年表、編纂経過、参考文献
(あとがき)
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==あとがき==

 

あとがき

  四十九年の年末も押し迫って、どうやら脱稿するまでにこぎつけることが出来ました。思えば昭和四十七年から始まって、大げさですが苦しみと悩みと、常に思考から離れることの出来ぬ心の負担と戦いながら、編集者一人一人が夜眠る時も、朝床に目覚めた時も、片時として忘れることなく心配し、書きつづけて来ました。その富奥郷土史を今ここに皆様方の御手もとにお届けすることが出来、拝読していただく光栄にただ汗顔のきわみにうちふるえております。

  月並の言葉ですが、私どもの力だけで出来たものでありません。各区担当の調査員の方々には筆舌につくせぬご迷惑を三年間の長い期間にわたっておかけしてしまい、その力づよいご協力があったからこそと厚くお礼申し上げます。もとより、各種団体の方々の調査報告書の提出など(一人一人の御名前は割愛させていただきます)、文字どおり旧富奥村の皆様方すべて、全力を上げての血のにじむようなご協力が結集されたのが、この一冊の郷土史となったのであります。

  私どもの下手な編集によって時期的に遅れてしまい、そのために比較的高価なものとなってしまいました。もっと早くまとめさえすればと、今さら悔まれてなりませんが、致し方ありません。ここに心からお詫び申しあげます。

  一人一人が足で訪れ、実際に見て聞いて、寒い日も夏の日も、忙しい農作業の時でも、雨が降ったりすればすぐさま調べたりしました。しろうとの私どもには、まさに暗中模索の難行苦行でした。発刊が昭和五十年三月と決められてからは、体裁もなにも考えられなくなって、とにかく報告書や調査されたものを早く原稿にまとめあげることで精一ぱい、という情けない有様でした。だから小学生の作文のようなものとなり、内容はもちろん、細かい配慮などに目を通すゆとりもないままとなってしまいました。専門家や郷土史家、その他広く諸先生方から批判を受けることは覚悟の上ですが、何分にも浅学な私どものことですから、寛大なお許しを心からお願い申しあげます。

  書き落としや調査洩れなどがきっとまだ残っていると思います。とくに人名などにあると思います。また、大きなおちこぼれもあるのではないかと思いますが、発刊期日の切迫で、報告書のないものはそのままとしてしまいました。必ずあとから苦情など出ることと存じますが、皆様方の御寛容と御賢察によってお許し下さいますことを、心からお願い申しあげ、責任の一切は私共編集の手落ちなることを潜越ながら前もって幾重にもお詫び申しあげます。

  神社とお寺については、富奥地区に三十数年間村民とともに在住された金沢大学教授・彫塑家米林勝二先生がご多忙な中に実地調査に暇を割いて下さったことに心から御礼申しあげます。地元におりますと、比較的そのことに気づかないものですが、私どもだけだと神社をこんなにも詳細に調査出来なかったし、わからないことばかりです。専門の先生に特別出張して調査いただくことも出来ますが、種々の点で実行出来ません。その点、米林教授の在住が調査を可能にし、富奥地区としては本当に恵まれたことでした。そんな事情の中で神社から数多くの知られない文化財が発見され、こまかく皆様に知っていただくことが出来、郷土史に掲載出来ましたことは、私どもの誇りであり、せめてもの責任の一端を果たしたような気もいたします。とともににこの貴重な文化財に対して、改めて認識を深め、その管理保存に心して下さることをとくに地元の次代の若い世代の層に切望して米林教授の労に報いて欲しいと思います。

  ここに重ねて親身になって御指導御助言をいただきましたことを、編纂会はもとより、編集委員一同厚くお礼を申しあげたいと存じます。

  また、古文書については、石川県立農業短期大学が幸い富奥地区にありますので、同大教授金崎肇先生に初めてお目にかかり、お願い申しあげましたところ、心よく御承知下され、先生を通じて金沢経済大学の田中喜男先生にも御協力をいただきました。さらに田中先生を通じて金沢在住の山科杏亭画伯をわずらわし、読みづらい写真解読までお願い申しあげ、ご多忙のうちにもお聞き届けいただきまして、郷土史の一頁に花を添えていただいたことに心から深く御礼を申しあげます。とともに、地元に大学があり、諸先生がおられることに今さらのように心づよさと誇りを痛感いたしました。ご指導に対して厚く御礼申しあげます。

  また、県立図書館の田川捷一古文書課長や、金沢市立図書館の方々、郷土資料館、県社会教育課など各方面の方々、中島栄治野々市町長、町教委社教課長佐久間由孝氏、小中学校の先生、古老の方々、議温会の方々など、助言をいただいた方々には数限りありません。失礼ながら、ご芳名もれもあることと存じますが、ご容赦下さいまして、厚く御礼申しあげます。

  最後に、編集から発刊まで北国出版社の、とくに石地与一郎社長、芳井先一編集長、浅田外喜子氏その他スタッフの皆様に大変な御世話をおかけしたうえ、手にとるようなご指示をいただき、どうやら私どもの郷土誌が体裁をつくろうことが出来ましたことは、ひとえにお力添えのお蔭と厚く御礼と感謝を申しあげます。

  ここに重ねて新しい感激と栄光に胸せまる思いで、この富奥郷土史の一冊を地元の方々や青年達に贈りたいと思います。

  題字は佃旭峰氏にいただきました。ありがとうございます。不本意な点のありますことを重ねてお詫び申しあげてあとがきといたします。

 昭和四十九年十二月二十七日

  編集委員 藤多 三夫   竹村  祐   佃  栄吉   上野 由雄

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