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付録 1
(日本協同組合史 その一)
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==日本協同組合史 その一==

 

日本協同組合史 その一

 (一)協同組合への理解の変化

  日本の協同組合の中で取り扱うべき協同組合の範囲については、多少の異論がないではない。日本の資本主義は明治から一世紀の期間に高度の発展をしたため、社会経済の変化も小刻みに行われた。そして二重構造の底辺の階層の量は大きく、質の変化も多く、前近代的な社会経済関係も残されてきた。底辺の階層を組織する協同組合は、欧米先進国のものとは組合員の性格の度合いなどの点で、いろいろ異なった、しかもそれは日本の政治経済の小刻みな期間の変化に応じて変化してきた。このため、一つの協同組合への理解が広く徹底しないままに、次の協同組合への理解が起こり、新旧の理解が混在する場合も少なくなかった。このようにして日本の協同組合は、欧米のものとくらべて多面的な要素を持ち、後進的な部分を含んできた。

  従って日本協同組合史の理解については、少なくとも次の諸点に注意しておくことが必要である。まず、日本協同組合史の研究が深められたのは昭和戦前であったが、これによって明治、大正期の協同組合の諸事実が明らかにされ、近代的協同組合と、前近代的組合との区分がなされ、後者はこれを日本協同組合史から除くべきだという主張も出てきた。

  しかし、実際運動では昭和戦後においてもなお、前近代的協同組合に起源を求める傾向があることからすれば、正当な判断のためにはこれを取り扱う必要がある。

  明治、大正期には農村産業組合は部落的なものが多かったが昭和戦前には町村地区単位のものとなり、部落、部落団体をもとに活動を始めた。昭和戦後には農業協同組合は、下部組織として部落組織、業種別集団を重視するようになってきたが、部落組級、農業種別集団も一種の協同組合なので、協同組合史の中で取り扱う必要がある。

  昭和戦後には協同組合法制の職業別分化をみたが、なお一部には戦前の協同組合を産業組合で代表させるような理解が残されている。これは明治、大正の時代に職業組合と産業組合を法的概念で区分した名残りである。明治、大正期にも職業組合で共同事業活動をしていたし、昭和戦前には広く各産業で、職業組合が共同事業活動を行ってきた。

  また、農村産業組合の公共性の高まりとともに、職業組合との開きが少なくなってきた。昭和戦後の協同組合は、職業別に分化するとともに、職業組合としての色彩も強くしてきた。このような現実からすれば、明治から戦前までの中小経営者の日本協同組合史では、産業組合のほかに中小経営者団体をも合わせて取り扱う必要もある。

  「産業組合法」はドイツの「産業および経済組合法」をまねた、近代的協同組合の立法であって、日本の協同組合運動に大きな役割を果たしてきた。




 ▲ 1:(一)日本の協同組合思想の特性 2:(二)明治期の協同組合思想 3:(三)大正期の協同組合思想 4:(四)昭和戦前の協同組合思想 5:(五)昭和戦後の協同組合思想 6:日本協同組合史 その一