もとは大乗寺3世明峰(みょうほう)素哲(そてつ)を奉(まつ)る塔頭(たっちゅう)として富樫高泰(たかやす)(山代(やましろ)氏(し))が1350年(正平(しょうへい)5)に開いたものです。(本19)
1915年(大正4)、大乗寺開(かい)山(ざん)塔(とう)所(しょ)跡される場所の土地開墾のとき、地下から遺骨(いこつ)を収めた石櫃(いしびつ)が発見されました。現在の高安軒は遺骨の奉安(ほうあん)を兼ねて1927年(昭和2)に復興されました。遺骨の発見された場所は、旧荒横通(あらよことおり)(荒町(あらまち))の鎮守であった外守(そでもり)八幡社(はちまんしゃ)の旧社地にあたります。(本38)
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