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==跋==
郷土誌編纂という大仕事が昭和四十七年、春まだうすら寒い雪の中から「フキノトウ」が大地から顔を出したように、わが富奥地区の所々からわきおこりました。そして私もいつの間にか、公民館の「公」の字もわからぬものが館長という任にあったため、先に編集委員に委嘱されました上野由雄、藤多三夫、竹村祐、佃栄吉の各氏につづいて私がこの重大な郷土誌編纂の仕事に仲間入りしたのですが、何から、どこからどうしてこの仕事を切り開いて行けばよいのか、まったく見当もつかず、ただ先に発刊された他市町村の郷土史を通讀した。一方で時には恩師であり、郷土史『宮保の歴史』を編纂された相野加治先生をお宅に訪問、先生の苦心談を拝聞し、種々ご指導を受け、ある時は林中公民館の藤井智遠氏、舘畑公民館長向義栄氏を訪ね、県立図書館の専門家にお願いし、編集に対する計画、仕事の推進などについての指示を受けた。しかし、生まれおちて以来まだこのような仕事を手がけたことのない者がどこからどうしてよいのか途方にくれてしまった。が、財政的な事情からだけではなく、私達百姓が土の匂いのするこの手で、年寄りにも子供たちにも、郷土の人みんなに広く楽しく親しく読んでいただくための、郷土史を編纂しようとの関係者のねがいもあって、自らの手、足で資料の収集に取りかかった。
しかし、お互いにこのような仕事に不慣れな上に、古い資料が見当たらず、作業ははかばかしく進まず、計画した昭和五十年春(富奥村閉村二十周年)に発刊出来るかと心苦しい日々をすごしていた。
ようやく四十八年二月下旬から各部落を回り、「古老に聞く」座談会を開き、資料収集の手がかりをつかみ、どうにか軌道に乗ったように感じていたが、いざ原稿をとなると、文章には全くのしろうとなので作業は難航をきわめた。幸いなことに地区内に米林勝二先生(金沢大学教授)がおられ、逐一ご指導を得、また北国出版社の芳井先一編集
長、浅田外喜子氏のご指示により、やっとのことで出稿の運びとなりました。
部落調査委員各位のご援助に心からお礼申し上げます。
しかし、ふりかえり、読みかえして見ますと、文章の前後したところや、硬軟な箇所、文献引用の不十分などもあり、識者が見ればずい分不審な点も多かろうと思います。ただ、前述のように我々百姓(富奥)の歴史を百姓らしい文章で書きあらわした本で、その目標とするところが表現できておれば良いのではないかと、そのまま出版することにした。不備、不足な点はご寛容を願います。
本書編纂にあたり、編集体制が完全にととのってからわずか一年有半で上梓にこぎつけるため、山田一郎会長初め編集委員各位、カメラ班の神田利行氏に大変なご苦労をわずらわし、厚く感謝の意を表するとともに、経済面につき多大の御援助を得た富奥農業協同組合(組合長田中影信)および役員の諸氏、特別なご寄付を頂きました関係各位に対し心からの謝意を表します。
なお編集調査に当たり御協力賜りました石川県立図書館、金沢市立図書館、県立郷土資料館、野々市町教育委員会社会教育課の関係職員の各位の親切なご指導を賜りましたこと、衷心から御礼申し上げます。
困難ではあったが、一面やりがいのある、この編纂の大仕事を終えさせていただき、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうに各位から絶大な期待とご支援を賜りながら、まことにつたない運びとなりましたことをお詫びし、本書が今後、皆様の座右に長く愛されていただければ幸甚の至りに存じます。
昭和四十九年十二月二十五日
富奥公民館長 編纂会事務局 村 井 幸次郎
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富奥郷土史