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資料集(一〜三)
(三、わらべ唄と子供の遊び)
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==三、わらべ唄と子供の遊び==

 

三、わらべ唄と子供の遊び

 

一 わらべ唄

 おじゃみ唄

 おじゃみー おふたーおふたー おみーいおみーい およーお

 なってくりょうーとんき おじゃまさーんな 何を習いまーした おこと習いまーした

 おようーぎーくら すってしぎーくら ご免ちょうだい

 おひとつおといておといておといて おしゃーれ

 おふたつおといておといておといて おしゃーれ

 おみつーおといておといておといて おしゃーれ

 おようーおのき すってしおのき おーななおのき まあーのきーとんき

 おみつこーぼーした つつみーつつみーつつみーつつみー つまんだいたーかーつたー

 ばあらーりーのっこ  いっかんしょ

 てまりつき唄

 ○おこまあさん、さいじょーさん、煙草の煙は十八丁、十八丁

 ながし(なまず)のたきの千本桜に 雀が三羽とーまった、とーまった

 一羽の雀は嫁入なさる、二羽の雀は見物なさる、三羽の雀は男におわれて、ちょいとかくれーた

 ○お月さんいくつ 十三ン七ツ そりゃまだわかい

  ねんねうんで子うんで おんばさにだかいて 油かいにやったらー

  油やのかど(垣内のこと、家の前)で とっすーベって(「とっ」は接頭語)ころんでー 油一升かやいた

  その油ピーした いにゃ(犬が)なめてしもた そのいにどーした ころいてしもた

  その皮どーした たいこにはってしもた

  そのたいこどーした もやいてしもた

  その灰どーした 麦にまいてしもた

  その麦どーした がんなく(食)てしもた

  そのがんどーした 東ポッポ西ポッポ たってった

 ○そうだ(曹達)会社の そうださんが そうだ飲んで 死んだそうだ

  葬式まんじゅァ ちっちゃいそうだ おまけにあんな 少いそうだ

 ○ぢいぢいのーばあばあいのー わたぼし雪がふるわいのー

  すりばちかぶってはしらっしゃい 大戸(玄関の戸)も雨戸もたてさっしゃい

 ○京の三十三間堂の 仏の数は三万三千三百三十三体まで ござる

 ○大野のぢいぢい チンパ引き引き かたがりビービー

  かたがりビーでも だんないわい

 うちいっておかかに 聞いたらば 疳(かん)のかたやと おっしゃった

 しりとり言葉

 ○ドンが鳴ったら(大正時代時報として尾山=金沢で大砲の空砲を使用した) ひらがりりや

  やーやーの仕事は何やった(やーやーはおかあさん) たかしゃっぽ(やまだか帽子) ポンヤリ

  陸軍の 乃木さんが がいせんす

  すずめ 目白 ロシャ人の苦 クロパトキン

  金のたま まけて逃げるはチャンチャン坊(日清戦の清国兵)

  棒でなぐるは犬殺し 死んでもかまわぬ日本兵 兵隊ならんでトットコト

  富山の三十九連隊 大砲一パッドーン(最初に返る)

 ○木の下の藤吉は わが国とり治み 味噌擦りゃごま一升

  しょう助婆さ庇(へ)こいた 狸の金玉八丁じき(初めに戻る)

 

二 子供の遊び

 <男の子>

 パチ ペッタともいう。美しい絵刷りの丸い厚紙カードで、床に投げ打ち相手のパチを攻撃する勝負遊び。相手のパチの下へ自分のパチがもぐり込んだり、相手を裏返しにすると勝で、そのパチを取り上げる。持ち分が全部取られると、アチャと称し完敗になる。

 兵隊ごっこ 模擬戦ごっこで、武器は大小の青竹に割れ目を入れて、小銃、機関銃、大砲を作り、割れ目がはじいて音を発する細工を考案した。また風呂敷を染めた軍旗、ラッパ(購入)、折詰箱で作った背のう等を用い部落や集団で隊を組み、軍旗の争奪や捕虜ごっこで、軍国時代の勇壮な遊びであった。

 陣鬼ごっこ 双方とも安全な陣がある鬼ごっこ。味方が捕えられると敵陣へ捕虜となり、それを救い出す、捕虜が多くなると勝つ遊び。

 たこあげ 昔はほとんど自作のたこで、糸は買い求めた。正月は天候があまり良くないので春始めの乾く頃多くあげた。

 たたき独楽 全く自給自足、酒樽の栓を円錐形に削り、棒の先に布切れ紐をつけた鞭で独楽をたたき回す遊び。

 すべりこ 積雪を高く積み上げて傾斜面をつくり、荷運び用の橇に乗って遊ぶ。スキーの簡単なものは昭和の初め頃から市販されたが、容易に買い求められず、竹を割った自製のもので遊んだ。

 竹下駄 太い孟宗竹を割って作った。氷りついた池や沼田などで滑るスケート遊びで、素足でつめたい。

 竹馬乗り 全部自家製。昔はどの部落にも竹薮が多くあったが、後に竹が少なくなると罐詰の罐に紐を通してその紐を操りながら乗って遊んだ。

 輪回し 昔の輪は桶の竹輪だったが後、桶の金輪を使った。押し棒は昔、木のまた枝を利用したが、のち針金をU字型にして作った。その後、自転車が大流行すると古いリーム等を使った。

 落としこ 雪が深くなると、雪路に穴を掘り表面を擬装しておく。雪垣内に隠れて友達の通るのを待つ。見事に穴へ落ちると歓声を挙げて喜ぶ。時には大人が落ちて大目玉。

 水浴び その頃は水泳などという言葉は使わなかった。海水浴はほど遠く、夏の暑い日には土用前から大川で泳いだ。堰をかけた深くて流れのゆるやかな浴(あ)べ場は各部落毎定まっていた。長く遊んでいると唇が紫色になり、家へ帰って叱られる。女の子も男と別な浴べ場を持って泳ぐ者もいた。もちろん当時は水泳着などはないので、男は手拭と紐でふんどし、女は赤いおこしを巻いていた。

 魚とり 水浴びに飽きると今度は魚とり。大川の堰板を引き上げると水がザーザー引いて浅瀬が出る。昔は川魚が非常に沢山いたので手掴みすることが出来た。次は上げた堰を元のとおり降ろすと堰下は渇水する。浅い小石の瀬にうようよハネ廻っている、うぐい・あゆ・ぐず・ふな・なまず・川ぎす、少し深い渕には鯉などがいた。とった魚は柳の枝に刺して誰もが何十匹もぶら下げて帰った。町の魚屋から滅多に買うことのない粗食生活の昔は格別の好物であった。しかし、用水の堰は潅漑用に小川へ引いていたので、堰板を引き上げるのは甚だ不都合なことであった。そのために隣部落から叱られることもあった。

 鰌(どじょう)すき 七月二十日の虫送りの松明に使った太い青竹を持ち帰り、細かく割って棕櫚の細縄で編んだしやでを作り、小川で鰌をすいた。沢山いたので夕餉には栄養たっぷりの鰌汁を作って食べた。しかし、これも小川の縁に植えてある豆や小豆を踏んだり折ったり被害があるので、叱られることがよくあった。

 茸(こけ)とり 水田ばかりの平坦地では小山すらない。だから山の茸とりは隣村の山まで行かねはならず、専ら宅地内や川縁に群って生ずるはんごけを捜し歩いた。この茸は小さいが茸汁にして食うと案外山の茸より美味かった。耕地整理後は少なくなったので、茸とりの趣味ある子供達は竹いこを持って近くの額谷、四十万の山へ茸とりと栗拾いを兼ねて日曜日など出かけた。

 雀とり 雪が一面につもると雀らは餌を捜し廻る。その時、雪の上に粉米を撒き、その上に籠につっかい棒を立てて斜めに置き、棒に細い紐を結び、隠れていて雀が粉米を食いに下りると、紐を引いて籠伏せで雀を生け捕りする遊びである。春は巣立ちの子雀を、瓦の隙間へ手を入れて捕え、夏は竿の先に鳥とりもちをつけて、小鳥を生け捕りした。また、鳥籠で飼っている小鳥を囮にして鳥もちをとりつけて捕え、鳥籠にひわなど飼う子供も多くいた。

 しゃくりん馬 主に寒い冬の遊びであった。二隊に分れ、ジャンケンで負けた方が馬を組む。この馬は、ラグビイのスクラムを組むように長い列の馬を組み、勝った方が順々に飛び乗り、ジャンケンを繰り返す。馬の組がつぶれたり、落馬した方は負けで、馬を組まなければならない。激しい運動だから汗が出て、夏は不向きな遊びであった。

 地面とり 平らな地面を区画した囲の一端から、ジャンケンで勝った方が指のコンパスで弧を描き、相手の進出を邪魔しながら領土を拡張する。広い領地を得た方が勝ち。他の方法でよく似た釘打ち遊びがあった。それは長い釘を囲の中へ投げ打って線を伸ばし、相手の進出を制えた方が勝ちで、投釘は危険なので学校で禁止されたこともあった。

 あばれん馬 農業に使役した耕馬が逃げ出すと、村中追い回して捕えるのを真似た遊びである。鬼が馬になり、縄で立木や電柱に継がれ、隙を見て縄を切って逃げ出すと、他の者達がいっせいに追いかけて捕える。馬は思う存分暴れ回る。それを捕えるスリルの遊び。

 <女の子>

 おじゃみ 布切れを丸く縫い、その中に小石や豆等を入れたものをおじゃみと称した。これを五個ほど握って投げ上げて掌中で受けたり、床に散らしたり、さらえたりして遊ぶ。元はお座敷遊びであったが、学校でも遊んだ。ルールもいろいろあった。

 毬つき 昔の毬は、綿を丸め、その上に糸を沢山巻いた毬であったが、大正初め頃からゴム毬が出るようになった。ゴム毬は、つくだけでなく、種々の大きさもできて、更に新しい球技が流行するようになった。

 千鳥とり 今も伝えられているとおり糸一本で、狭い場所でも遊べる簡単な遊び。

 けんぱ 屋外の平らな場所を選び、多くの輪を連ねて描き、両足や片足で飛び回る遊び。石を輪の中に投げ入れ双六(すごろく)のように拾って投げる。ルールもいろいろあり、足で小石を蹴って輪の中に入れるのもあり、石けりの別名もあった。

 鯉のぼり 二列に向い合って並び、両手を向かい同志結んで、その上に一人が腹這いで乗る、結んだ手を揺り動かして、乗った鯉を泳がせて前進させる遊び。寒い冬に適した遊び。

 鬼の輪 人数により適当な輪を描き、一同その輪の中に入る。鬼はその輪の中へ踏み込まず外から内の者を捕える。捕えられた者も輪の外へはみ出た者も次に鬼になる。キャキャ賑かな遊び。

 かごめかごめ 今もよく見かける女の子の遊び。唄の文句は

  かごめかごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 月夜の晩に 後ろにいるもんナ誰ーれ

 おばごと(おじゃごと) いつの世でもあった遊び。しかし、遊び方や器具が時代に伴い変わって来た。昔は現在のように玩具屋から種々の趣向をこらした玩具を買ってもらえず、自然に転がっている木の葉や小石、草木や草花等を工夫して用いた。また、子供達の遊び対話も動作も、時代相を正直に真似て遊ぶから、その内容も変遷がある。

  その他女の子は特に時代の移り変わりにつれ、服装も行動も大胆活発になり、昭和の頃ともなると男の子と同じ遊びもするようになった。例えば、乱暴になりがちなしゃくりん馬など平気で遊ぶようになった。

  次に遊び道具であるが、昔は子供の遊び道具など考えられず、まして金銭を出して買うなど思いもよらないことであった。戦後経済の大躍進に伴い生活水準の高度化で、幼児から青年期まで玩具、乗り物、楽器、運動具等、巷に充満している。そのため、昔の子供の如く、遊び道具を工夫して作る遊びが消え去ってしまった。




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