[part1]
==伝説==
猫の手も欲しい稲刈の最中、昨日から晴れ渡った秋空は全く雲一つ無い。サクサク気味の良い鎌の音が朝から澄み切った田面に響き渡って稲刈はドンドン捗った。
作兵衛夫婦も、予定した分量が終わったのはまだ明るい頃だった。「ヨーシもうあの小さい田を一枚刈ろう」と頑張ったが秋の陽は釣瓶落とし、「あと一はかじゃ、ありゃ帰ってままのしたくせい、わしや一人ですまして帰るさかい」作兵衛は妻を帰して一人で月明りで刈り続けた。田圃にはもう誰もいない。常日頃、この作兵衛は働き者で正直者、村の誰からも信望厚く、しかも年も若いのに信仰心も篤かった。
どうにか刈り終わったので、ホット一息、急に空腹が感じられ「マア一休み」と畦に腰を下して前の小川の水際の草むらを見ると「アッ!あれは何んじゃろ」ピカピカ輝いているではありませんか。そうっと恐る恐る近づいてよーく見ると、丸い後光のような光が、何んとも言えぬ神々しい光で目がチラチラしてならない。それ以上近づくことも出来ず、作兵衛の両手は無意識の間に合掌していた。「有難や、勿体ない」彼は鎌も忘れて家へ走りだした。
向い三軒両隣、事の次第を告げ回った。わいわい騒ぐ声に人に人が付き、村中の者は作兵衛の後に続いた。誰の目にも変わりはない。「アッ……」驚き声の先に両手が合掌、「勿体ない、神様じゃ神様じゃ」誰のロも異口同音、その夜は暗くて、下手に手を出して粗相があってはと、村人一同は三拝九拝して帰宅し、明朝相談することにした。
一夜は明けた。今日も秋晴れのよい天気だったが、午前中は肝煎どんの家で寄り合いが開かれた。さし当り神様を肝煎りの家に安置すること、それは今年十五歳の肝煎どんの息子が奉持すること、神様が現われられた場所に御堂を
建立すること、などが相談され、肝煎どんの息子清太は村人達に連れられ家を出た。
彼は近くを流れる大川(今の郷用水)へ入って沐浴斎戒し、母が持って来た浄衣を着て、昨夜の神様の所へ向かった。あの神々しい光を放った神体は、一振りの石塊であった。彼は恭しく掌の白紙に載せ、奉持して家の出居の床に安置した。
秋の取り入れが終って各家々に米俵が積まれる頃には木の香も神々しい御堂が出来上がり、神体が遷座され、村人の心尽しのお供えも飾られ、以後、村のお護り神様として鎮座されることになった。上の村の南方約六〇メートルはどの所で、村人は「表宮」として長く崇拝申し、道往く者、帰る者、拝礼を忘れず、また、春秋の大祭も厳かに勤行してきた。
星移り時は流れ、明治の代も終わり、新しい大正の聖代が開けた頃、村では耕地整理の事業が開始されることになった。この村には、この表宮の外に中宮、下の宮の三社が分散していたので、耕地の整理と共に三社を中宮神社に合祀することになった。表宮の跡はいま水田となっている。
昔々、中林村に権右衛門という若者がいた。この男は生まれつき金太郎や桃太郎に劣らぬほど力もちの大男であった。子供の時からお父さんやお母さんと共に田圃に出てお手伝いをしていたが、あまりにも力がありすぎて、鍬や鎌などの農具を折ったり、壊したりするし、また大変な大食いで、両親も困り果てていました。権右衝門は考えた。
「村に居るよりもいっそ江戸に行って強い力士になろうかなー」「でも、江戸には日本中から集まったわしよりもっともっと強い力士が沢山いるやろうナー」「わしのこの力じゃだめやなァ」「アーもっともっと強くなりたいなァー」
毎日考え込んでいる権右衛門は、意外な話を聞いた。「隣の清金村にそれはそれは有難い神様が現われ、あの新しい表宮に祀ってあるそうじゃ」この話を耳にした権右衛門は「そうだ、その神様にお願いして、もっともっと強い力を授けてもらおう」堅く決心した権右衛門は、その夜から毎夜毎夜一人で、雨にも風にもめげず願がけを始めた。
「どうか、神様!もっともっと強い力をお授け下さい!」
権右衛門の必死の願がけは毎夜続いて、とうとう満願の百日目の夜が迫った。「アー今夜は最後の願がけだ」「神様!どうかこのわしを、憐れみ給え、助け給え!」
権右衛門の願い詞も大川端の柳に吹く風に消え、何の反応もありません。「アーア!わしの真心が神様に通じないのかナー」力なくうなだれて、しょぼしょぼ大川四ッ堀を通り抜けて帰る権右衛門は、ハタと立ち止った。これは如何に、降って出たか、涌いて出たか、山のような真黒な猛牛、太い、鋭い両角をこちらに突き着け、闇間に爛々稲妻の如く輝く両まなこ、ドシドシこちらへ迫ってくるではありませんか。「ウーン!」両拳に力を込め肩を張り開いた権右衝門の五体には、むずと脹れ上るような力が五臓六腑からとめどもなく涌き出てきた。「ヤァーッ」今まで口にしたこともない雄叫びが先か後か、権右衛門の両手は、あの太い猛牛の両角をむんずと握っていた。両脚を踏ん張り猛牛の角を右へ左へ、その度に岩のような猛牛の背筋が右にゆらゆら左にゆらゆら、握り拳がすっと入るような大きな猛牛の鼻の穴からは機関車の吐く蒸気のような息遣い。此処一番と、権右衛門「エーッ」渾身の金剛力を引き絞って左に角もろとも投げやれば、さしもの猛牛もたまりかね一回転して「ドスン」と地響きをたてて倒れてしまった。権右衛門は難なく我が家へ帰ることが出来た。床の中に横あると、急に疲れを感じグッスリ眠り込んでしまった。
「権右衛門!権右衛門!」誰かが呼ぶ声に、ふと眼をさますと、これは如何に、枕元が光り輝き、目が眩くて見ることが出来ない。権右衝門は目を閉じて座り合掌していると「お前の力量は無双、江戸に上って力士の道に励むがよい」と神々しい声が終わるや、輝く光は急に消え失せ、あたりはもとの静寂の闇に包まれてしまった。
「さては!満願の帰り道の猛牛は、表官の神様であったのか!」「勿体ない!勿体ない」権右衛門は翌朝、事の次第を初めて両親に打ち明け、許しを得て江戸行きの旅立ちにかかった。江戸に着いた権右衝門は、有名な親方の部屋に入り、一生懸命技を磨き、遂に関取りと呼ばれる角界の立派な力士に出世したということである。
昔々この村に吉兵衛という貧しい百姓がいた。この吉兵衛は、この村の小走りを勤めていた。
ある年の冬、寒入りすると急にガバガバ降り続けた雪は一メートル五十センチ程も積った。しかし、昨日は雪足も一休みして、久しぶりにお天道様の顔も拝められる晴天になったが、夕方から寒さが加わり、少し融けかけた雪が昨夜の間にカンカンに凍りつき、積った雪の上は足も落ち入らず楽々と歩くことが出来た。吉兵衛は朝早くから村の肝煎の指図で各家々を触れ回っていた。どこの家の屋根にも軒端に一メートルもあるようなたるき(つらら)がブラブラ垂れ下っていた。この寒い明け方、もう雀達は元気にちゅうちゅう飛び回っている。
吉兵衛は、窪んだ道を歩かなくても雪の上は反って堅くて実に歩き易い、何んだか歩くのが楽しくなり、わけのわからん鼻唄なんか口ずさみながら、道のない村の端を回り歩き、ちょうど宮の後を回っている時だった。宮の森の木々の間から白い煙のようなものが、うっすらと流れているのが目についた。「ありや……何んやろう」その煙のようなものが流れ出る森の方に近づくと、「ヤ!こりゃーおかしいゾー 煙じゃないわい。湯気じやわい」宮の森の中に入ると、これはいかに、宮の奥殿の後ろに大きな雪穴がポッカリ口を開け、盛んに湯気がたちこんでいるではありませんか。吉兵衛は恐る恐る、ソーっとその雪穴の中を覗き込んでみた。
「アーッ!湯が涌き出てるゾー」頓狂な大声で吉兵衛は驚き叫んだ。しかし、村の家々はみんな厚い雪垣に包まれていて誰にも聞こえない。吉兵衛は走り出した。先ず一番に肝煎どんの家へ躍り込んだ。「タ……大変! 大変じゃ」急げば急ぐほどスラスラ声が出ない。
肝煎「オイ!吉兵衛!ナニをわめいてるがじゃ、何んじゃ大変じゃとナン」
吉兵衛「ウン、宮の後に……出とる… あのー」
肝煎「オイこら、もっと落ち着いて言えマン」
吉兵衛「宮の後から出とる、湯が出とるゾ」
肝煎「ナンの事かわからん、いってみにゃ分らん」
肝煎どんは頬かむりをして、深ぐつを履いて吉兵衛の後を追って行った。宮の森に入ると白い湯気が薄っすらと見えだした。
肝煎「ウン!ありや本当に湯気じゃワイ」
吉兵衛「アレ!アレ!あこから アレ!」
吉兵衛の指差す方に本当に大きな雪穴がある。肝煎どんもソーッと覗いて見た。
肝煎「ヤーこりゃどうしたこっちやい、湯が涌き出ているわい、おかしなこっちやナ…‥こりゃキット、神様のお授けじゃワイ」
肝煎どんも遂に座って、目を瞑って拝み始めた。それを見て吉兵衛も座って合掌した。肝煎どんは一まず家へ帰ったが、吉兵衛はまたかけ足で村中の家々へこの新しい発見の事柄を威勢よく触れ回った。
雪が融けて暖い春になっても、この涌湯の池は消えず、また熱い湯も絶えなかった。村人はみんな、神様のお与えだからと言って、お椀にこのお湯を汲んで飲んでみた。ただの湯と違い、確かに薬の香がプンプンする。
その内に、この湯は薬じゃという噂きが拡まり、本当に飲んだ者は癪病(しやくやまい)も熱病も、また足腰の痛みもみな癒った。病気でない者でも、飲んだ者はみな息災であった。毎日、村人は先ず杜の神様にお参りしてから、この湯を頂いて飲んでいた。そのために、この村では、ずっと長く病人が出ず、みな男も女も長生きしたということである。また、この神社の杜号も「薬師日吉神社」と改められたそうである。
その後、何十年か何百年か経ってかしらないが、ある冬の寒い日に突然この湯が止まってしまい、池の中はカラカラになってしまった。サー大変、村人達は不思議でならないので調べたところが、この村に住むある百姓の妻が、我が子のおしめ(おむつ)を洗うのに冷たかったので、このお湯を使ったことがわかった。
「アー勿体ないことをしたもんじゃ」「それで神様の罰で出ないようになったんじゃ」「そうじゃ、そうじゃ、勿体ないことを」
この湯の涌き出た池は最近まで埋められずに残っていたそうである。
昔々この村に、おさよという可愛い娘がいた。おさよは貧乏な百姓の娘で、幼い時母に死に別れ、意地悪い継母に育てられた。継母にも、やがてまた女の子が生まれた。
この継母は自分の生んだ娘ばかり可愛いがり、いつもおさよに辛く当り、しまいにはおさよを家から追い出そうと考えるようになった。頼みの父は怠け者であるばかりでなく、大酒呑みで、家はいつも貧乏暮らしであった。秋も終わり寒い木枯しの吹く或る日のこと、おさよは母の形見で大事にしていた簪(かんざし)を妹が盗み、それを取り返した事から姉妹喧嘩になった。継母は妹をかばい、
「そんな簪が大事なら、サーやる、やる、そのかわり、その簪を持ってどこへでも行け、もう家にゃ入れないゾ」
とうとうおさよは家を追い出されてしまった。簪を懐にしたおさよは、しくしく泣きながら哀れにも暗い田んぼ道をトボトボ歩いていた。時折り大川べりの枯れ薄が、寒い木枯しの吹くたびザワザワと騒ぎ立て、近くの諏訪の森からは気味の悪い梟の鳴き声と、絹を裂くようなかん高い頓狂なみみずくの声が入り乱れて暗い夜空に響くばかり。
「毎日毎日、いじめられて生きているより、一層、死んだおっ母のところへ……」
泣きあかしたおさよは、泣くよりもっと悲しい事を考えるようになっていた。そうしていつの間にか、大池の岸に立っている自分に気がついた。水面ははっきり見えないが、岸辺に寄る波の音がしゃぼしゃぼ泣き声のように悲しく聞こえる。
「そーだ! やさしいおっ母のところへ行こう!」
おさよは草履を脱ぎ、形見の簪を口にくわえ、両手を合わせて、ジーッと目を瞑った。
「アッ! おっ母! おっかー、さよも行ってもいい?」
あら不思議ヤ! 瞑ったおさよの目にありありと、あのニコニコ顔のやさしいおっ母の顔が見えるではありませんか。
「アレ! あんなに招いている、……なんまんだぶ、なんまんだぶ!」
「おっ母ー……… 」
叫んだ一声が早いか、哀れにもおさよはザンブと大池に身を投げてしまった。
その翌朝、村人はキチンと揃えたおさよの草履を見つけたが、その亡骸は遂に浮いて現われなかった。そしてまもなく妹は長の煩いになり、それを心配した継母は瘠せおとろえて死んでしまった。また、村の子供達で、この池に入って泳いだ者は、みな池の底に沈んで上らなかったということである。村人達は口を揃えて「あのおさよはキットこの大池の蛇になったのじゃ!」と言うようになり、誰も恐れて近寄らなくなった。
何百年か世が移り変わり、やがてこの大池も干せ上ってしまった。村人達は、その他の底に一本の美しい簪を発見したということである。そしてこの大池は埋められて、今はその跡すら誰も知らないということである。
昔この村に小三郎と言う爺さんがいた。この爺さんは、若い頃から毎日朝暗がりに起きると、先ず村の神社に必ずお参りし、何十年間一日も欠かした事がないほど、非常に敬神の心の篤い人であった。
秋も深まり、賑やかな秋祭りも終わったある小春日和の長閑な日であった。爺さんは朝、家を出て長い道中をテクテク歩いて、金沢のお手つぎ寺の報恩講さんにお参りしての帰り道であった。晩秋の日足は早く、下新庄を通り抜ける頃はもう薄暗くなっていた。日中はあんなに暖かであったが、夕暮れ時になると、もえう頬に吹くそよ風も、やがては木枯しを呼ぶ風なのか、冷々して懐の中まで浸み込むようであった。
爺さんの肩には大きな風呂敷包がニツも振り分け荷物でぶら下っていた。この中には、可愛い孫達のおみやげに買って来た饅頭や、食べずに紙に包んで頂いて来たお寺のお斎の料理、婆さんから頼まれた油あげなどが入っていた。村が近く見えるまでに辿り着いた爺さんは、三人の孫達も待っているだろうと思い、心は急ぐが足腰が思うように動かない。時々立ち止って腰を伸ばさなければならない。宮の後ろを流れる大川の早瀬の音が、早く早くとせき立てるように聞こえてならない。
ようやく村の入口のお宮の横まで辿りついた爺さんは、すぐ宮の森に入り、神前に今日一日無事であったお礼参りをして、そろりそろりと帰りかけた。気のせいか、何か後ろに人の気配がするようで、チョッと後ろを振り返った。ところが一体どうしたことだろう…、宮の右側のあの椎の大木の前に、水もしたたるような、それはそれは美しい女が、目も眩むような立派な振袖姿でニコニコしながら立っているではないか。
爺さんは不思議で不思議でならない。「あなたは、どなたでございみすか」と尋ねようと思うが、どうしたことか顎がガクがクふるえて声がどうしても出てこない。ただペコペコ腰をかがめてお辞儀をするばかりで、恐る恐る家へ帰りかけた。鳥居をくぐって再び後ろを振り返ると、美しい女はそろりそろりと爺さんの後について来るようだ。爺さんはただ胸がドキドキするばかり、無我夢中で足を早めて、どうにか我が家の玄関まで着いたので、また後ろを振り向いた。しかし今度は何も見えない。ただ家の前に植えられた日本柿の枝に鈴なりに下った大粒の実が色づいて、
ぶらぶら揺れているのがボーッと見えるだけであった。
「オーイ!今もどったぞ」
我ながら驚くような頓狂な大声であった。待ちかまえていた孫達が「ワー爺じゃ、爺がもどってきたゾー」と喊声を挙げてとび出して来た。爺さんは孫達にすっかり気をひかれてしまい、あの不思議な女の事などしばらくロに出さなかった。みやげの饅頭やら夕飯で満腹になった幼い孫達は、もう満足してみな眠ってしまった。爺さんは囲炉裡を囲んだ婆さんや息子や嫁の前で、先ほど見たあの不思議な女の話をポツリポツリと残らずみんな語った。
婆さん「アレ!なんと妙な!そしてどうしたがや」
息子「爺!そりゃほんとかいノ!気のせいか、何んかの間違いじゃないかいノ!」
爺さん「イヤイヤ、何度もこの目で確めて見たがじゃ、確かに間違いないワイ」
息子「そうか……不思議なこっちゃノ!」
婆さん「そりゃキットあの椎の木の霊が現われたのじゃなかろうかニン」
爺さん「そうかナー…なんにせあの椎の木は千年以上もたった古い木じゃからナ!神様が宿っていられるかもしれんからナー……」
この話は二、三日の間にすぐ村中へ、人から人へと伝えられ、村の衆もみんな「あの椎の大木ァ神様が宿った神木じゃろ!その神様が女のお姿で現われなさったがじゃ!そうにきまっとる」と口々に言い出した。
そして、その年の大年(おおみそか)が迫ると、いつものとおり作られる神社の〆縄と共に大きな〆縄が新たに作られて、椎の神木にかけられ、お宮へ参りに来た村人の誰もがこの神木の前で恭しく拝むようになった。そしてこの神木に粗相があってはと、その周りに鳥居や玉垣も作られた。その後明治十五年、拝殿造営の際、大工さんがこの神木の枝端を少し切りとったところが、切口から赤い血のような樹液が染み出たそうで、村人も一層神木のあらたかさに感銘したと伝えられている。
伝え話によると随分大昔、この村の六平という爺さんが植えたとの事であるが、あまりにも古い大木で、その樹齢など推測すら出来ない。近年この神木も老衰甚だしく、太い幹もほとんど朽ち果ててしまったが、その株跡は判然と古来星霜を重ねた面影を物語る如く神々しい。更に株脇から新しく伸びた幹は、この古株を覆い、一層神木の幽玄な威容は訪れる人々の脳裏にひしひしと迫る想いがしてならない。
いつの代のことか知る由もないが、この村の南の方百歩ばかりに、権兵衛屋敷と称する広大な邸宅があった。西側は深い谷川を隔てて一面起伏する畑地で、その谷間には段々水田がまざっていた。谷川に添うて幅五尺ばかりの尾山道が、薄の穂に挟まれてくねくね、上は上林村に、下は藤平田村に続いていた。北東側はだんだら下り坂道が細々と村の各家々に通じていた。南側には数棟の土蔵が行儀よくきちんと列んで、大きな欅の枝がくれに白い壁が映えて、朝日の輝き、夕陽の影、それはそれは華美で豪勢な眺めでありました。東面した屋敷の前には老松岩を抱え、岩間を流れる遣水は滝となり池に注ぐ景観、屋敷の南西には遠く懸樋を引いて水車も回っていた。秋の取入れ時になると近在の百姓が運ぶ米俵で土蔵の内はぎっしり一パイ。この世の極楽暮らしと誰も羨む権兵衛一家でございました。
ところが、秋も深まる晴れた小春日和の或る日、鷹狩衣装も美しく、多くの家臣を従えた殿様の行列が、遥か東の諏訪の森を(矢作村のあたり)を抜けるや、馬上豊かに進む殿様の馬がハタととまり、殿の鞭指す彼方の白い土蔵。
「あれは何者か」「ハイ百姓権兵衛にござりまする」「ナニ!百姓の分際で白壁の土蔵とは、不届き千万!ソレ!引捕え」と下知一下、その日の夕方権兵衛は家族共々捕吏に引かれて行き、遂に帰らず、土蔵屋敷も打こわし、跡形も無くなってしまいました。
今だにその名のみを留むる「権兵衛屋敷」と呼ぶ水田三枚、土蔵の登り口を「上り口」と称する水田五枚、水車の樋を渡した地所として「樋掛田」が二枚、あるばかり。その他書面に依る文献記録は遺っていない。
昔々この村に弥三右衛門という百姓の爺さんがいた。この爺さんは子供の時から正直者で、非常に信仰心も篤く、村人からいつもよく慕われていた。この爺さんの家は貧しくて、少しばかりの田圃も村近く流れる大川(今の富樫用水の木呂川か)の西側にあり、毎日の田園仕事には貧弱な丸太橋を渡って行かなければならなかった。だがこの丸太橋も古くなって、所々腐ってしまい、何時落ちるかもしれないように危くなっていた。爺さんはこの橋を新しく掛け替えようと思い、冬の間に背戸の杉の木を切り倒し、春になるのを待っていた。
あんなに沢山積った雪も、彼岸頃になるとすっかり融けてしまった。暖かい日射しが続くと、大川淵の猫柳の芽もほころび、その根本には蕗のとうが枯草の間から顔を出し、飢えた者が生き還ったように思う存分日光を吸い込んでいるようだった。川薄の内に巣を構えているのか時折、雲雀の上る囀りが早春の静かな空をふるわせている。
爺さんは、朝早くからせっせとこの丸太橋の掛け替え仕事に励んでいた。先ず橋台を立てるため、川岸に深い穴を掘り始めた。土よりも石ころばかりで、一つ一つ石を掘り上げて、大分深くなった。
「この石はけっこうでかいゾ」爺さんが「ウーン」と大きな石を持ち上げると、アラ不思議や、急にうす暗い穴の中が明るくなった。「おかしいナー」と穴の底を覗き込んだ爺さんは、「アッ、勿体ない、勿体ない」その場に爺さんは膝をついて座ったまま、一心に合掌した。なんと、輝いているのは穴の底に横たわっている三十センチ余りの石の地蔵様ではありませんか。爺さんは恐る恐る昨日婆さんが洗濯してくれた頬かむりの手拭を解いて、この地蔵様を包んで両手に抱え、一目散に家へ帰った。
爺「オーイ婆ァや! 婆!」
婆「イーイー なんじゃいノー」
爺「オイ! これ、勿体ない、勿体ない」
あまりにも慌てた爺さんの声に婆さん驚いて、今まで一生懸命団子の粉を搗いていた石臼の柄を持ったまま玄関へかけつけてみると、「アッ!こりゃ勿体ない、勿体ない、爺!こりゃどいがいニー」
叫ぶが早いか、その場に座って合掌して拝む婆さんに向って爺さんは、事の次第を残らず話した。
婆「そりゃ仏様のおあたえじゃ、サー早うお移し申さにゃ」
爺さんは出居(でい)の床に箱の台をして、白紙を敷いて地蔵様を安置した。婆さんはお花を飾ったり、お供え物を上げたりしている間に、爺さんは急ぎ足で四十万のお寺の坊さんを呼びに行った。やがて村の衆も聞きつけ寄り集ってくる。間もなく坊さんも来て、お経をあげるやら拝むやら大へん賑かになった。
この後、この弥三右衛門爺さんも婆さんも、ますます達者でながいきし、子供の頃から病弱で困っていた一人息子も見違えるように元気になり、弥三右衛門一家はみな正直で、よく働いたので、暮らしもだんだん良くなり、誰からも羨まれるような幸せが続いたという事である。
また、この地蔵様は後、いずれの時代か村の鎮守の社にお移し申し奉祀したそうである。大川も村人から弥三右衝門川と称するようになり、丸太橋も後には立派な橋に掛け替え、今もこの橋を「地蔵橋」と呼んでいる。
現在、鶴来町から美川町に流れている石川県最大のあの手取川が、石川平野の東寄り、粟田の村端あたりを流れていたという時代の話だから、随分大昔の事であろう。
この村に与兵衛という百姓がいた。この与兵衛は貧しい小百姓であったが、実によく働く正直者であった。
春の暖い晴天が三、四日続いたので、どこの村の桜も美事に咲き、また畑に作られた菜の花も一面に開き、春のそよ風にゆれながら蝶や蜂を集めていた。畦に腰を下して一休みすると、ついうとうとするような、のどかな日和であった。与兵衛は朝早くから大川べりの水田を一鍬一鍬根気よく打ち起こしていた。もう日も暮れかかっているが、明日も天気か、西の空はまだ薄紅く夕焼の名残りを留めていた。与兵衛の田の北隣りは一段と低くなり、その田は隣村の地内で、ちょうど矢作村の百姓作兵衛も水田の荒起こしをしていた。
作兵衛「与兵衛どん!えらい精が出るノー。大分日も暮れたし、夜田上(よだいが)りしょまいかいノ」
与兵衛「イ!うまい日なみで結構じゃノー、そろそろ上るまいか」
作兵衛「与兵衛どん!実はのーちょっこしお前さんに聞きたい事があるがやけんど」
与兵衛「イ!何かりくつな話でもあるかいノ」
作兵衛「おいの!田んぼ中で話しとっても落ち着かん、そこの大川の土手んとこで一休みしょまいか」
与兵衛「そうじゃノー、ほんなら一ぷくしょまいか」
二人は土手の草の上に腰をおろした。作兵衛が腰のどーらんを取り出して煙草を一ぷく吸おうと火打石を擦っていた。与兵衛が何気なしに大川の水面に目をやったとたん
与兵衛「オイ!作兵衛どん!アレ!アレ!ありや何んじゃい」
作兵衛「なんじやいノー、ウウン!おかしーいぞ………えらいキラキラ光っとるわい」
すかさず与兵衛が立ち上って鍬を持って川岸に降りた。近づくと一層キラキラ輝いて、日がチラチラまばゆくてならない。作兵衛も降りて来た。与兵衛が鍬に引っかけて岸辺へ寄せると、そのピカピカ輝くものがポカポカ浮いている。与兵衛がそーっと鍬にかけて草の上へ引き上げた。近寄ってよーく見ると、これはなんと、身の丈三十センチほどのまことに神々しい神様のお姿ではありませんか。
与兵衛「アッ!勿体ない、こりゃ神様じゃぞ」
作兵衛「そうじゃ確かに神様じゃ!勿体ない」
二人はその場に座ってしばらく手を合わせて拝んでいた。
与兵衛「作兵衛どん!どうしたらよいかノー」
作兵衛「ウソ!このままでは勿体ない、罰ァ当るゾー」
与兵衛「そうじゃ、そんならわしの家へお移しするかナ!」
作兵衛「そりゃいい、そして村の衆に相談しまいかノ!」
与兵衛「そうしょうかノ!」
与兵衛ほうやうやしく神様を両手で抱えて家へ急いだ。ひとまず自分の家に神様をお移し申してから、与兵衛はすぐ村の衆に相談に出かけた。村の衆も後から後からこの神様を拝みに来た。その後、作兵衛の話を聞いて矢作村の衆も多数拝みに来たので、与兵衛の家は大へんな混雑でした。翌日朝から粟田新保と矢作の両村の代表の人達が集まって、この神様をどうお祀りするか相談した。その結果、この神様を両村の守り神様として、神様の現われなきった両村の村境にお堂を建てて祀る事になった。
田植も無事に終わった頃、新しいお堂が出来上った。このお堂は西の方に向けて建てられ、両村の人達は、みんな一日仕事を休んで神様をこのお堂にお迎えするお祭り日として、沢山の村人達が集まった。お堂の回りには木も植えられ、小さな幟旗も教本たてられて、田んぼの中に新しい宮の森が出来た。小さいお堂であったが、何んとなく神々しく、両村の守り神様として村人から崇拝されることになった。
翌朝矢作村の人達が数人、このお堂に参りに来た。みな手を合わせて拝んでいたが
矢作村の甲「ありや!不思議なこともあるもんじゃ、あれー神様が横を向いていられるがい」
同乙「ほんまじゃ、こりゃどうしたことかい、神様が粟田新保の方へ向いていられるゾ」
同甲「あれ!勿体ない、誰かわるさしたんかナ!」
同乙「こんなわるさして罰ァ当るがい」
この人達は元の通り神様を正面向きに直して帰っていった。その日の内にこの事が粟田新保の方へも知らされ、また翌日朝早く両村の衆が数人お堂の神様を拝みに行った。
矢作村の人「ありゃ!また粟田新保の方を向いていられるわい……」
粟田新保村の人「おかしなこっちゃノ!」
矢作村の人「昨日真っ直ぐ正面に直しておいたんじゃがナ!」
粟田新保村の人「こりゃピーも、この神様は粟田新保をお守りなさる神様じゃゾ!きっとそうじゃー…」
再び両村の代表が寄り集まってよく相談した結果、この神様は粟田新保の氏神様としてお祀りすることになったそうである。
現在の豊田日吉神社は大山咋命を祀り、今から四百八十年ほど前の長享年中創建ということだから、ちょうど一向一揆の頃で、それ以前の大昔にこの神様が現われなさった話なんだろう。
昔々この村に善兵衛という百姓が住んでいました。この善兵衛は実に気の良い人で、腹を立てたことは一度もなくまた人に腹を立てさしたこともなく、いつもニコニコ笑顔であったので、村人から仏善兵衛と呼ばれていた。
村の西の方にある善兵衛の畠には、いろいろな野菜物が作られていた。茄子や瓜類はみな収穫が終わって、畠には人参、大根、牛蒡、葱が見事なほどよくできて、収穫を待つばかりであった。もう十一月に入ると朝晩は相当冷え込んで、今朝は落葉や藁の上に白く初霜が下りていたが、空はスッキリ晴れ渡り、実にのどかな小春日和のよい天気だった。宮の森の大きな欅の木も葉がほとんど散って、箒を立てたように細い枝が、こみ合って青空の中にクッキリ浮んでいる。村際に植えられた柿の葉も美しく紅葉して、風もないのに時折思い出したようにヒラヒラ散っていく。紅く熟れた実が暖い陽射しにキラキラ輝いているのが目立つ。
善兵衛は鍬や挿(ふんずき)を持って畠に出た。今日は土も幾分乾いているので、牛蒡掘りにはうってつけの天候である。暑い夏の頃は、あの大きな葉が畠の中を我もの顔に拡がり繁っていたが、秋が深まる頃よりだんだん萎んで紙屑のようにくしゃくしゃに縮み込んでしまった。株の太さから考えると、根の方は相当太く長く伸びているらしい。
長い牛蒡を一本一本、なるべく折らぬように掘り抜こうと、善兵衛は朝から根気よく精出していた。
「こいつァだいぶん長いゾーまだまだ深く掘らなきゃ……」
善兵衛が挿に渾身のカを込めて勢よく土中にサクッと挿し込んだ。「カチン」しっかり握った手がしびれるほど強い衝撃で、挿は反対に撥ね返ってしまった。
「こりゃーなんじやい!この手応えじゃと相当大きい石じゃナ!」
善兵衛は牛蒡掘りより石掘りに気を奪われてしまった。鉢でどこを挿しても「カチン、カチン」と手応えはかり。
「こーりやとてつもないでかい石じゃゾー」
手探りで考えると、どうも筵一枚以上もありそうな大きさだ。とても自分の手に叶うわけがない。いつの間にかお日さまも西の村々の陰に沈んでしまい、あたりが急に冷え冷えしてきた。掘った牛蒡を束にして菰に包んで、善兵衛は早々に夜田上りした。夕飯を食べていても善兵衛は畠の中のあの大きな石が気になってならない。その夜すぐ村の肝煎どんの家へ行って、あの畠の中のとてつもなく大きい石の話をこまごまと話した。
「そりゃ不思議な石じゃナ!そんなでっかい石が土中にあるとは考えられんワイ、明日わしゃ調べてみるわい」
善兵衛は肝煎どんの返事に満足してニコニコしながら家に帰った。翌日、村の肝煎どんや組合頭の大百姓方が鼡挿(ねずみさし=鎗の穂先の長いもので土中の鼡を挿す農具)を持って畠に集まった。昨日、善兵衛が試したとおりに鋭い鼡挿でサクリ、サクリ土中を挿す度にカチン、カチン、と手応えがある。
組合頭甲 「ヤァーこりゃでかいもんじゃワイ」
組合頭乙 「どんなもんが埋っとるがじゃろー」
組合頭甲 「こりゃーただの石じゃないワイ」
肝煎 「ともかく掘り出してみたらどうかノー」
組合頭乙 「そうじゃ!こんなもん泥の中にそのままおいちゃ気持がわるい」
組合頭甲 「肝煎どん!掘り出すというたところで、一人や二人じゃ手にあわん」
組合頭乙 「そうじゃ、村総人夫でなきゃだちゃかんワイ」
肝煎 「ウソ!ほんなら明日天気ァ艮けりや村総人夫で掘るまいかい」
すぐ肝煎どんは小走(こばしり)に命じて総人夫を触れ回った。
翌日も晴の天気が続いた。鍬、挿、もっこなどの用具を持った村人連は、肝煎の打つ人夫太鼓の音を聞いて集まって来た。いよいよ肝煎どんの指図で、この不思議な大石の掘り出し作業が始められた。先ず善兵衛の畠の作物は全部収穫され、この大石を中心に土が掘り除けられた。鍬や挿で深く土を掘る者、その土をもっこに盛って担いで除ける者、みんな一生懸命に精出して働いた。
「うまいもんナ一人で、仕事ァ多勢で」の諺のとおり、作業はどんどん捗って、大きな池のような穴が出来た。土が取り除けられると、この大石の姿もハッキリ浮び出てきた。この大石は真中に丸い穴があって、善兵衛が予想したとおり筵一枚よりも大きいものであった。石の質は、この辺の大川に転っている石と違い、医王山の麓の戸室山から採る青戸室と称する石によく似た青味を帯びた灰色のものであった。
村人甲 「なんと不思議な石じゃのー」
村人乙 「こんなでっかい石ァ見たことァないぞ!」
村人丙 「こりゃー神様の石じゃなかろうか!」
肝煎 「そうじゃナー、こんな所に置いて勿体ない」
組合頭 「ウン!お宮さんに飾って置いたらよいの!」
肝煎 「じゃがナーどうしてお宮まで運ぶかい」
組合頭 「村中総出で縄かけて引張りゃ動くゃろ!」
肝煎 「そんならみんなで運ぶまいかい」
その日はまだ夕暮れまで間があったので、肝煎の指図で村人達はみな家に帰って縄の準備にかかった。どこの家も家族の引張る縄の数を用意するのに夜なべまでした。
翌日は朝からどんより曇り空だったが、夕方までどうにか雨は降らなかった。村中、今日は家業を休んで、男も女も、年寄も子供も、みんな手に手に縄を持って集まって来た。太い太い縄がこの大石にかけられ、その太い太い縄に一太い縄が更に何本かかけられ、その太い縄にまた縄が沢山結ばれ、ちょうど大木の枝のようであった。この縄の端にはみな村人が付いて、まるで柿の枝々にいろいろな人間の実が成っているような格好であった。肝煎の合図で
煎肝 「ソラ!引張るぞ!ヨイショ」
村人一同 「ヨイショ」
さしものあの大石も少しずつ動きだした。のど自慢の爺さんの「木遣り節」も唄われ、村人一同の掛声の大合唱は遠い周囲の村々まで聞こえたということである。十メートルも引くのに一時間もかかり、夕暮れ前にどうにかお宮の鳥居を通り抜け、社殿の向かって右側に据え終わった頃は、もう薄暗くなっていた。その夜はものすごい大嵐になり雷がピカピカゴロゴロ轟き渡り、その後に大雨が翌朝まで降り続いた。大石は雨できれいに洗い清められ、宮の境内にドッカリ、実に神々しい威容を添えていた。村人も神様の石だと信じ、誰も粗相なことをする者もなく、前を通った者は必ず合掌して拝んでいた。
寒さは日一日と加わり、やがて遥かに日毎仰ぐ白山の姿も白一色に変わってしまうと、やがてみぞれに続いて白い雪がチラチラ降り出してくる。年の瀬も迫り、新しい正月を迎える時になった。除夜の鐘が静かな寒空に響き、春夏秋冬自然を損う穢と、煩悩の悪業を祓い清めるように視界は無垢の白衣に覆われる。
東の山々から初日の光がうっすら輝き始める頃、善兵衛はお膳た列べられた御神酒、お肴、鏡餅を持ってお宮へ初詣に出かけた。まだ誰も参った者がないらしく、雪道には足跡もない。善兵衛はお宮へ上る先に、あの大石にお参りしようと立ち止って、白く化粧した大石をチラッと見ると、薄暗くてハッキリしないが、石の上に何か載せてあるようだ。二、三歩近づいてよく見ると、これはいかに、立派な金銀蒔絵の漆塗りの御膳に、沢山の珍しいご馳走が盛られて据えてあるではないか。
「アレ! こりゃ一たいどうしたこっちゃ!誰がお供えしたんやろ………でも足跡ァ全然ないし………不思議なこともあるもんじゃ………やっぱりこりゃー神様の石じゃからかナ………」
善兵衛は「へーイ」と深く頭を下げて拝んだ。初詣も丁寧に終えて家に帰った善兵衛は、この不思議なことの次第を家族達に話した。その後初詣した村人の誰もが、この不思議な御膳を見付け、忽ち村中の大評判になった。二日にお参りした者は誰も誰も見られず、もう元日の一日だけで消えてしまった。
この不思議な大石の上の御膳は、その後毎年続いて元日の日に現われ、一日拝もうと遂に隣村の人まで元日の日にこのお宮へ初詣する者もあったということである。
その後いつの頃か、ある心賤しい男が、この御膳とご馳走が欲しさのあまり、こっそり盗んで来た。家でゆっくり食べようとして箸を持つと、なんと、驚くではないか、御膳もご馳走もパッと白い煙になって消え失せてしまった。
それ以来、毎年元日になっても、あの大石の上の御膳は全然現われることがなかったということである。
なおこの大石は唐戸石と称し、石川郡誌、石川訪古游記に次のとおり記されている。
(石川郡誌抜萃)
唐戸石。兼松神社境内に在り。石質は戸室青石に似て、長さ七八尺、重畳二千二三百貫、上に円月泓を鐫す。或は曰く中古大伽藍の手洗石たりと。或ほ云ふ其の石礎ならんと。嘗て其の側を穿ちて砕瓦を得、近頃復柱礎祭盤を掘り出せりといふ。
(石川訪古游記抜萃)
末松出村に至り唐戸石を観る、国史承和中(八四三〜八四八)命じて勝興寺を以って加賀の国分寺と為す、和泉寺に准い講師一員僧十口を置く、(中略)天慶申(九三八〜九四七)加賀守源中明、加賀越中国分寺の破壊修理料を請い置く、蓋し其の遺址也、予文政十三年(一八三〇)四月を以て、能登国に游び鹿島郡国分寺遺址に至り、大石水田中に淪在するを見る、形状此の石に似て稍小く土人国分寺大極柱礎也と云う。
昔々この村に三右衝門という若者夫婦がいた。この三右衛門は全くの怠け者であるばかりでなく、まことに始末におえない残虐無道のならず者であった。村人はみんな鬼三(おにさん)と称し、その姿を見ると泣く児もだまるほど誰からも恐れられていた。この鬼三は幼い時、母に死なれ、継母にいつもいじめられ通しで育った。そのためか心が荒々しくねじけて、だんだん大きくなるにつれ、親も手に負えぬ情け知らずの乱暴者になっていった。子供の頃から全然働くことを知らず、常に他人の物を威し取ったり、盗んだりしていた。
「蓼食う虫もすきずき」の諺のとおり、世にはまた珍しい女もいるもので、この鬼三は妻を迎えることが出来た。ところが「狐に添う赤犬」とでもいおうか、この事もまた非常などうらくもので、毎日お化粧や着飾って身をやつすのが仕事。鬼三は、この妻を迎えてからは一層凄い乱暴者になり、遂に夕暮れ時になると近くの松並木の北陸道に出て、弱そうな旅人を襲う追い剥ぎになってしまった。そして通行の旅人を捕え、あり金は勿論、持ち物まで剥ぎ取り家へ持って帰ると、邪険な妻は「ナーンダ、これだけか、なんで着物も取らんがいエン」「じゃがナー歯向こう奴ァどうにもならん」「ナン言うとるがいニ、逆ろうたらタタキ殺してやりやいいが、馬鹿ナ、慈悲心なんかかけてー」とプンプンハチハチ。
ある月明りの秋の宵であった。北陸道の松並木の枝影が路上に落ちて様々に奇妙な柄模様を描いている。路傍の叢から奏でる虫の音は種々綾なして美しい合奏を楽しむかのように聞こえてくる。鬼三はこの虫の音を聴きながら、太い松の根に腰を下して、頬杖をついて時折り横目で左右をジロジロ鋭い目付きで見やっていると、遥か稲荷の方から黒い人影がちょこちょこ近づいて来る。多分尾山で宿をとる旅人だろうか、それにしても宵闇迫る時刻なのに案外足運びが鈍い。ずんずん人影は近付いてくる。
「なんだ、こんな時分に、あまじやないか」鬼三は不審に思いながらよく見ると、顔は見えんがそのシルエットから覗うと上品な女である。鬼三は近付くと、す速く躍り出て、両手を拡げてその前に立ち塞った。女はあまりにも頓狂なので、チョッと立ち止ったが、「さては追い剥ぎか」と感付くやスルリッと身をかわすと共に、ちょかちょか駆け出した。
「コラー、あま」鬼三も体を翻して追ったが、女足はそんなに時間がかからない。「この奴ー」鬼三が後ろから着物の襟をグイと掴むが早いか、女の強烈な肘鉄砲。鬼三はあまりにも予想外な威力にたじろんで、掴んだ手も離してしまったが、「ヤッタナー、こ奴メ!」すぐ追いかけた勢いで女のお尻をゴツンと蹴ったので、さしもの女も前のめりに倒れて跪いた。すかさず鬼三は飛び乗ったが、またもや肘鉄砲の連発、鬼三は女の背にへばり付いて、後頭部をむちゃに握り拳で打ち続けた。
女が少しひるんだので、太い腕を女の首に巻いて渾身の力で締めつけた。女は「ウーン」と苦しい呻きと共に脱力してのびてしまった。通行人が来ては大変、鬼三は腰に幾重にも巻いた帯や紐を解くのももどかしく、手速にすっかり体に着たものをみんな剥ぎ取った。女盛りの雪肌の鑑賞など思いもつかず、サッサとその場を抜け出した。田んぼの畦道に来た時、はじめて顔がひえびえしたので撫でると、顔から首にかけ汗でぴっしょり。剥ぎ取った物に触ってみると「ウソ、いい着物じゃ、こりゃ絹もんじゃワイ、嬶のやつ喜ぶじゃろうナ」と想いながら家路を急いだ。
鬼三 「オーイ、今もどったゾー」
妻 「エライ遅うかったニン」
鬼三 「ソラ!この着物どうじゃイ」
妻 「アラー、着物に帯まで、そいてこりゃー絹もんじゃニン」
鬼三 「気に入ったかヤ、これ剥ぐのに大そしたゾー」
妻 「こんな大まいな着物着とるもんな、どんなめろじゃろうかニン」
鬼三 「ハッキリわからんだけんども、なんせ若いきりょうのいいめろじゃったワイ」
妻 「そんなら、お前さん、キッとりっぱな笄(こうがい)や簪(かんざし)もさいとったやろうニ、しょだいなし
ゃニーン、なんやってそれ取ってこんだかいニ」
鬼三 「わしゃ、着物剥んのにやっとで、そんなもん気ァつかんだワイ」
妻 「なんてあほーな人じゃいニー、わたい、笄も簪もろくなが持たんさかいに、いつーも欲しい欲しい思とったが
いニィ、アラはがいしゃー………そしてそのめろどうしたいニン」
鬼三 「首締めたらのたばって、道のまん中にのびとるワイ」
妻 「ほんなわたい今からいって剥いできてやろー、コーッと、どのへんやいニン」
鬼三 「あの、かたがり松のちょっと手前かナー」
妻 「だらくさーい、ほんまにまぬけな人じゃワイ………」
妻はトットと出かけて行った。一人になった鬼三はいり(ろ)りにあたりながら考えこんだ。
「めろうてナもんな、なんと強欲なもんじゃろー…‥、わしやあの着物剥ぐのに、とうとうあのめろ殺いてしもうたがじゃ。なんじゃら気持ァ悪うてどんならん、そんな頭のもんまで剥ぐ気ャせんだがナー………、あんな邪険な嬶といっしょにおるのァ−おとろしなった、わしゃこれからもまだまだあくどいことするよになるやろナ……… ア、いやじゃ、いやじゃ…よんべもなんやらけつな夢見たワイ……しまいに罰ァあたって、死んだら地獄にきまっとるじゃろナ………アー、いやじゃナー………ウン、今のまに家を出ようかナ……」
鬼三は遂にしょんぼり家を出てしまった。
「これから心を入りかえてもだちァかんかナー」
鬼三は考え込んでしょぼしょぼ歩いていた。フト気がつくと、何時の間にか泰平寺の方に向いて歩いている自分に気がついた。
「ソーダ、和尚様に頼んで坊んさんにしてもらうかナ………」
鬼三は泰平寺の和尚様に事の次第を全部正直に話して頼んだ。そうして弟子にしてもらい、剃髪して一心に仏に仕え、後には立派な名僧になったそうで、邪険な妻はその後どうなったか誰もしらない。
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