「中世の探索は、深入りするとキリがないので、しばらく中断して他の話題にしようか」
「そうですね。年中行事など軽めのものもいいと思います」
「手始めとして、左義長からいこうか」
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☆村の年長者が、その年の暦をみてわざわいのない方向を定め、14日に子供達が家々を回り、正月の〆縄や松花、ワラを集める。青年達が青竹を組み、それらを高く積み上げて日暮を待つ。薄暗くなると火がつけられ、子供達は書き初めを笹竹につけ、火炎に当てると、炎につつまれ空へ舞い上がる。高いほどその子は上達するというので、一斉に「ワーッ」と歓声が上がる。☆[注1]
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「近年は、祭日の移動に伴い各集落の開催日も一定しなくなっているようだ」
「火は危ないと、日頃は近づけないのに、この日ばかりは大目にみられ、夜空を焦さんばかりに燃え盛る様は子供心にも勇ましく、寒さも忘れてしまうような開放感にひたれるものですね」
「『その年によりわざわいのない方向を定め』とありますが、町会を構成する世帯数が増えると、場所も周知しやすいよう公園地などに特定されてしまいがち・」
「時間帯も昼間に移されるなど、ある意味での形骸化は仕方ない。ところで、左義長という言葉の意味を史さんは考えたことはあるかな?」
「ちょっと変わった言葉とは思いますが、古くからの習慣だから・くらいの理解ですわ」
「私も、ずっとそんな理解だったが、歴史書などを読んでいると時折思いがけないところで、そういう習俗に対する回答というかヒントになる文に出くわす」
「何でしょう?」
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☆徒然草第180段に、さぎちやうは正月に打ちたる毬杖(ぎちやう)を真言院より神泉苑へ出だして、焼き上ぐるなり。「法成就の池にこそ」と囃すは神泉苑の池を言ふなり。
漢字では「左義長」とか「三毬杖」などと書く。この「さぎちょう」が正月行事として広く行われているわりには、その由来や作法が不明なので、兼好は自分の知るところを書いたのであろう。珍しい貴重な資料となっている。「毬杖」というのは、木製の毬を打って遊ぶ時の槌型の杖のことである。☆[注2]
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「何だかゲートボールみたい」(笑)
「案外ちかいかも・」
「兼好法師といえば、確か14世紀の人でしたね」
「鎌倉時代も終わり頃、平安貴族の雅な遊びがすでに人々の記憶から遠ざかった故に残された文章なのだろう・」
「旧きよき時代を偲ぶ一章ですか」
「文章だけでなく、時代は下るが絵も残されていた」[注3]
「へぇー16世紀後半、室町時代ですか。左義長の形は今のものと似ていますね」
「試しに、日本史辞典で『さぎちょう』をひいてみた」
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☆三毬打。三鞠打・左義長とも書く。民間ではどんど焼き・さいと焼きなどとも言う。古来の正月行事。宮廷では1月15日ころ、清涼殿の東庭に青竹を3本束ね立て、上に扇・たんざくなどを結びつけ、陰陽師や、のちには猿樂師などが集まり、歌いはやす中で焼いた。天皇は清涼殿上から見るのが習いであった。中世には武家でも行われ、民間では門松・しめ飾り・書きぞめなどを持ち寄って焼く悪魔払いの行事として各地に普及した。☆[注4]
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「今ではすっかり庶民的な年中行事でも、もともとは、上流貴族の行事が長い年月を経て一般化しているんですね」
(2011.5.26)