10月に入って間もなく庭先の「ののいち椿」がポツリポツリと咲きだしている。若年層に人気のS店に場所を移して、例の三人組が顔を揃えた。

 

 「急な呼び出しで申し訳なかった」

 「いや、そろそろと思っていたところだよ」

 「間が空きすぎるよりいいのじゃない。今日は末松廃寺関連だったね?」

 

 カプチーノなど、各自が好みの飲み物を脇に置きながら、持参の資料を拡げている。

 

 「なかでも、発掘調査へのトリガーのひとつだった和銅開珎がポイントかな・」

 

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 - 元明天皇、御位をおつぎになって、半年もたたないうちに、武蔵の国秩父郡(埼玉県)から、自然の和銅(にぎあかがね)が出て、献上せられました。朝廷では、非常なおよろこびで天地神の恵みと、年号の慶雲五年を改めて和銅元年(708)とした。そして、すぐに銅銭の鋳造にとりかかり、八月から世の中に銅銭を流通せしめられた。それが和銅開珎・・-(注1)

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 「小学生でも社会科などで習っているところだね・」

 「貨幣として造られたものが、どうして建物の基石の下に埋められたのか?」

 「当然な疑問だが、歴史的な解釈のひとつとしてこんな記述がある」

 

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 - 日本で金属貨幣が鋳造されるのは八世紀はじめ、和銅開珎といわれる銅銭・銀銭がつくられたのが最初で、それ以来、いわゆる皇朝十二銭という貨幣が、十世紀なかごろまでつくられる。(略)実質的に社会の中に貨幣が流通したのは、ほぼ畿内にかぎられており、全国的には流通しなかったといわれる。和銅開珎は、一種の呪術的な意味を持った使われ方もしている。たとえば、寺院を建てるときの基壇に和銅開珎をかならず置く。あるいは美濃の不破の関の発掘によって知られたことだが、和銅開珎が何枚か建物の隅に置かれている。そのような呪術的な意味をもって用いられることがあった。-(注2)

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 「物々交換での交易が主だった時代に、何とでも随意に交換できる貨幣は驚きをもってみられた。その何か計り知れない力を頼んだというわけか?」

 「その点については、吉岡先生も報告書の中で触れられている」

 

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 -富樫丘陵の北辺に三小牛ハバ遺跡が開かれるにあたり、南東の尾根筋に580枚以上の和銅開珎と鉄板(鉄梃?)一括り、金銅鈴が埋納されたのも、寺地の結界を定めるための地主神への地鎮・奉賽儀礼とみられる。-(注3)

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 「末松での発掘調査は、間隔をおいて数次にわたって行われているが、その時の写真(注4)がここに載っている」

 「当時としては、珍しい話題だからね。たぶん昭和30年代の話だと思うが、近くにある松任農高の教諭だった金山氏が熱心で、雨の中でも泥だらけになりながら発掘作業にあたっていたとの評判だった」

 「発見された和銅開珎の所有権についてのエピソードを聞いている」

 「どんなことかな?」

 「その時期、町役場に勤めていたMさんの話だが、和銅開珎を見つけた高村誠孝氏がすぐさま京都の国立博物館まで行って、どんな性質のものかと調べてもらった。歴史的に貴重なものと分かり、その所有権を確定するには、管轄する松任警察署に拾得物届を提出しなくてはならない。その事務的な手続きをMさんが代行したという」

 「1300年も前のものでも、半年間の猶予がいるということ・・」(笑)

 「その件では、発見場所が高村家の水田か用水路だったかで所有権が違ってくると聞いた」

 「ああ、用水路だと個人所有の水田と違って、国有地扱いだからね。話は逸れるが用水路に付随する溝畔が国有地とされたいきさつは『郷の今昔』に出ていたな」

 

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 - ・・本(石川)郡及び県耕地整理係等にては溝梁に沿小溝畔は溝梁に付属すべきものなれば国有地なりと称し 松任税務署は田に付属するべきものにして民有地なりと称したるにて 本問題の解決するまで事務の遅滞を生じたるを以て県は松任税務署に交渉の結果大蔵省に伺ひ遂に大正七年七月本郡の主張の如く溝畔全部を国有地となすことの決定を得地価に関する恩典を受くることとなれり・・-(注5)

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 「発見場所が、もう10~20cm違えば国有財産になっていた(笑)。こんなふうにデータが結びつくと、俄然おもしろ味が増すから病みつきになるんだよね」

 「話は少し飛ぶが、こんなデータもある」

 

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 - 唐代の長安は国際交流が盛んで、さまざまな使節が来ていた。陜西省歴史博物館には、アフリカの黒人像やローマの金貨、ペルシャの銀貨、そして日本の和銅開珎もある。-(注6)

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 「今日は、天平時代の一枚の銅・銀貨が物語る当地末松での舞台裏から唐代の長安まで、すごい振幅の話になったね」

 「『奇貨おくべし』(掘り出しものは手中に)とは、まさにこのことだな・・」

 

 (2014.4.10)

 注1;平泉 澄著「物語日本史(上)」―155-

 注2:網野善彦著「日本の歴史をよみなおす」-44-

 注3;吉岡康暢ら「史跡 末松廃寺跡」報告書 -156-

 注4;富奥農業協同組合刊「創立50周年記念誌」-48-

    (補足)歴史シンポジュウム「いまよみがえる末松廃寺」-46-

 注5;郷公民館刊「郷の今昔」-266-

 注6;NHK出版「シルクロード1 長安から河西回廊へ」-122-

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