観応三年に起こったとされる上林郷での事件が、市制施行前に発刊された町史に載っているが、今回はそれを分析というか、時代的な背景のようなものを探ってみよう。

 

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-上林地頭 大桑玄猶 観応三年(1352)四月四日、神鉾を奉じた白山本宮の神人が上林郷地頭大桑玄猶の居館を包囲した。『白山宮荘厳講中記録』はこの事件を、当日は加賀一宮白山本宮の春の祭礼日にあたり、上林郷内神領からの御供米を地頭大桑玄猶が進納しなかったことへの武力制裁として伝えている。

 本宮神人の急襲に応戦し、大桑玄猶方の家人が殺傷を加えたため、さらに怒りを増した僧兵は八幡、三宮、大宮(本宮)三基の神輿を担ぎ出し、その人数は数千にものぼり郷内を散々に焼き払い、本宮の神輿を若宮というところに振り捨てて帰山した。振り捨てられた神輿は、大桑方には手出しのできない白山神の依り代であり、神威を恐れた玄猶は白山宮に対し御供米の未進と神人への殺傷を詫び、ようやく四月七日になって神輿の帰山がかなったというのが事件の顛末である。ここに登場する大桑玄猶は、中世初期に古代の拝師郷を再開発して私有地化した加賀の有力在地領主林氏の庶流大桑氏一族である。-(注1)

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 「歴史年表を参照すると、観応三年は足利尊氏がその弟直義と戦い、南北朝の和睦を南朝方が破るなど、誰が敵か味方なのか分からない時代だね」

 「尊氏の実子だが、直義の養子となった直冬が九州で反抗するなど、室町政権が確立するまでにはその後十年くらい要している」

 「そのあたりを念頭に、本題へ入ろう。まず、神人の急襲とか、僧兵が神輿を担いで暴れるなど現代の私たちが神社や寺院に抱くイメージとは随分違う行動についてだが・」

 

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-とくに平安後期以後の日本は乱世が続き、鎌倉幕府がそれを収束した後も、南北朝という戦乱の時代があった。(略)そもそも武士というのは、東国の農民たちが自分の財産を守るために武装したのがそのはじまりだが、自分たちの財産を守るために武装するのは、よく考えてみれば武士だけのはずがないということがわかるはずだ。もちろんそれは僧侶にとっても同じことである。(以下比叡山延暦寺を一例として、当時の利権と武装を記述)-(注2)

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 「荘園という経済基盤を保持しようとすれば、乱世にあっては社寺も武力を持つ必要があったということか・」

 「関東方から派遣された御家人ではなく、在地の大桑氏が地頭?ということがひとつの疑問だったが、せんだって何気なく市の図書館から借り出した本の中に、ヒントになる文を見つけた」

 

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-地頭のなかには、北条一族の息の掛った者でなく、現地で自分なりの努力によって、そこまで伸し上がった者もたくさんいた。そのプロセスとしては、自分が開発した新田の承認、そしてそこを拠点にして郡司や郷司への任命、やがて権門勢家や大寺大社への寄進、そしてその実力を認められての地頭への任命というものであった。

 これは、執権政府が自分の息のかかった者を日本各地の地頭にした流れとは別に、現地で自分なりの努力によって伸し上がった地頭をも、承認することで「北条執権政府が認める地頭の範囲の拡大」といっていいだろう。そして、これがじつを言えば「御成敗式目」の眼目であった。-(注3)

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 「町史では、その辺の事情が簡単にしるされている」

 

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-大桑氏は犀川中流域の大桑荘を本拠地としてきたが、林氏嫡流が承久の乱(1221)で没落した後を受けてその所領であった石川平野に進出し、嘉禄三年(1227)を始めとし以後二度大桑讃岐次郎光行が白山本宮の神主職を獲得するなど白山宮神領をめぐる勢力抗争をひきおこしていた。-(注4)

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 「御成敗式目など、中学校の歴史で名前だけは知っているが、このように身近な所での動きと関連づけられると、理解しやすいというか、すっと頭に入るよね」

 第25話は、林氏の没落で終わっているが、今回は期せずしてその続編になったようだ」

 「鎌倉時代から足利政権初期まで、林郷に根を張った大桑氏の動向は、次の文章でも説明される・」

 

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-結局、尊氏の軍事力をもってしても、朝廷や公家の勢力、つまり国衙領(公領)や荘園(天皇家・公家・有力寺社の私領)が一掃されたわけではない。もちろん、鎌倉以来、武士は自己の所領を持つことが認められていたし、古くからの荘園に「地頭」として入り込み、戦争のどさくさにまぎれて荘園自体を自分のものにしてしまうことすらあった。

 しかし、それは依然として荘園を力の源泉とする政治勢力が顕在であったことを示している。また実体として存在するからこそ、それを横領することができるのだ。-(注5)

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 (2014.10.30)

 注1:「野々市町史 集落編 -96-

 注2:井沢元彦著「逆説の日本史7」-307-

 注3:童門冬二著「北条時宗の生涯」-126-

 注4;注1に同じ

 注5:井沢元彦著「逆説の日本史7」-154-

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