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==第三節 灰納屋と置場規約==
つい最近までどこかの村のどこかの家が火事になると、その原因を「取り灰の不始末」として片づけてしまったようである。
ガスと石油が一般家庭で使用されるごく最近までは、どの農家でも燃料の半分以上はわらをたいていた。ふろをわかすのもわらであった。冬の寒い朝、朝前仕事をすましてくると、手など冷たい時には「ひときびたくか」などといって、わらを一束持って来ていろりでばっと火さきがあがるほどたいて、手や足をかざして温めたものである。
女は着物のすそをまくしあげて、わらの火さきにしりをあぶると冷たいしりがぬくまるので、恥も外聞もなくどこの家でもそうしたらしい。
また、春先など日がとっぷりと暮れるまで外で仕事をしていて家にあがると、手や足など洗う暇もなく、まずふろをわかきなくてはならない。ご飯もたかなくてはならない、おかずも仕込まなくてはならない。農家の主婦達は燃料がわらしかないのでせまい台所をかけずり回って夕食の準備にかかるのである。チョット火つきが悪いとわらの煙が家の中にたち込めてけむたいことはいうまでもなく、ひと昔前までの農繁期の台所は大変なものであった。
そして朝になるとまた早くから田仕事に出る。夕べの灰の始末もそこそこに出たりすると、それが原因で火事になる。朝は忙しいので夜寝る前に灰を取って納屋などに置くと、夜中に火事という大事になってしまう。そんなことが非常に多かった。
だから、どこの家でも灰納屋を造って持っていた。灰納屋は家から必ず離れて建てることになっていた。少し金のたまった農家は岩を材料にして作った。
それほど灰納屋は農家の生活と切りはなせない存在であった。そして一年中の灰を灰納屋にたくわえておき、春になると田んぼへていねいにまくのである。貴重な加里肥料であり、わら灰のたくさんある農家は自慢をしたくらいである。
時には春三月、遅い雪がなかなか消えないと、凍りついた天気のいい朝など「ソラ歩き」が出来ると、田んぼの雪を早く消す手段として、灰納屋の灰を雪の上にまいて、消雪作用と加里肥料との一石二鳥をねらった。
その灰納屋も火事に関係があるため、次のような規約が出たので記してみる。灰納屋一つにも定めが設けられていた。
明治三十三年六月
本県令第七十七号
灰置場規則
第一条 本則ハ稈藁ノ類ヲ燃料ニ供シ其骸灰ヲ蔵置スルモノニ適用ス
第二条 前条ノ骸灰ハ灰置場以外ニ蔵置スル事ヲ得ズ
第三条 灰置場ヲ設置セントスルモノハ左ノ各号ヲ具シ管理警察官署ニ届出認可ヲ受クべシ
一、設置地名番号
二、構造仕様及図面
三、落成期日
第四条 灰置場ノ位置及構造ハ左ノ制限二従フベシ
位置
住家其他ノ建造物ヲ距ル三間以上ニシテ恒風上ニ位セサル場所ニ設クルコト
構造
一方、広サハ三尺以上トシ屋根及内部ハ不燃質物ヲ以テ覆ヒ其一面ニハ取入口ヲ附シ之ニ灰止ヲ設クコト
二方、地ヲ作り不燃物ノ覆蓋ヲ為ス事但此場合ハ位置制限ニ従テ要セズ
第五条 前条ノ構造落成シタルトキハ管轄警察官署ノ検査ヲ受クべシ
検査ヲ受ザル間ハ使用スルコトヲ得ズ
第六条 市街地ニ在テ第四条ノ制限ニ拠り難キ事情アルモノハ管轄警察官署ノ認可ヲ得テ不燃質物ヲ以テ造リタル容器ニ蔵置スルコトヲ得
第七条 第二条、第六条ニ依リ蔵置シタル骸灰ハ火気滅スルニアラザレハ他ノ場所ニ貯蔵又ハ棄却スルコトヲ得ズ
第八条 第二、第三、第五条二項、第七条ニ違背シタルモノハ科料ニ処ス
附則
第九条 住家其他ノ建造物ノ一部ヲ灰置場ニ充用スルモノ及従前設置ノ灰置場ニシテ本則第四条ノ制限ニ適合セザルモノハ明治三十四年三月卅一日迄ニ改築ヲ了へ若クハ認可ヲ受クルノ手続ヲ為スべシ
小さな灰納屋一つでも火災を防ぐために、規則を決めてきびしく取り締まっていたことがよくわかる。
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富奥郷土史