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第七章 学校教育
(第八節 国民学校)
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==第八節 国民学校==

 

第八節 国民学校

  昭和十六年は日本が太平洋戦争に突入した年である。日中戦争が次第に収拾する時機を失い、泥沼に陥って、その窮余の打開策を南進政策と北進政策のいずれに求めるかなど、日本が運命の岐路に立たされた時であった。

  学校教育もまた、戦時色に統一された。すなわち、明治五年の学制発布以来七十年、連綿と続けられた伝統の歴史と幾多の児童と人材を養成し社会に送り出した「小学校」の看板がおろされ、ここに戦争一色の「国民学校」と改称新しい看板が掲げられた。

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 ▲ 1:第一節 学制の施行 2:第二節 小学校誕生 3:第三節 各小学校の推移 4:第四節 合併創立=富奥尋常高等小学校 5:第五節 富奥尋常小学校の沿革 6:第六節 農業補習学校、青年訓練所、青年学校 7:第七節 女子裁縫学校=農業補習学校女子部 8:第八節 国民学校 9:第九節 戦後 10:第十節 教育委員会の発足 11:第十一節 育友会 12:第十二節 涙の閉校式 13:第十三節 同窓生名簿