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==第七節 農地転用状況==
戦後の驚異的な経済復興は日本農業の基盤を次第に変えてきた。つまり、終戦前後のあの食糧難は農業基盤の整備や農業資材の開発、農家の人たちのたゆまぬ努力によって解消されたが、近年は逆に主食の米穀が生産過剰となり、ついに生産を調整するという事態に至った。しかも、低米価政策によって農家はもはやその生産に対する魅力を失い農民の多数が農業を捨てて都市周辺の工場へ走り、都市の工場が逆に近郊の農村に進出し始めた。また、都市の過密化は近郊田園地帯の住宅地開発に結びついて地価高騰を招き、農業生産性との格差を広げてきた。
とくに当富奥地区は国道八号線に近く、金沢市の郊外に位置するとの立地条件から、昭和四十年以降は農地転用が盛んになってきた。四十七年には都市計画法に基づいて、地域の大半が調整区域に指定されたが、その適用外である公共施設などの建設があいつぎ、年々農地が減るとともに農業後継者も激減してきた。
過去、農業に生きてきた人たちの生産意欲もこれにともなって低下する一方で、かつての平和な米作り農村の姿は次第にその面影を失い、前途が危ぶまれている。右の表は各部乳の農地転用の状況で、その土地に建設された公共施設、企業の主なものは次の通りである。
主な公共施設
主な事業会社
水田地の中に生まれた住宅団地