<< part4へ [part5]

==(三)全国連合会==

 

(三)全国連合会

 1、全国購買組合連合会の成立

  全購連の設立はまた、産業組合購買事業の発展と、地方における第一次世界大戦後の化学肥料の普及、その独占の形成を契機としたもので、以前は産業組合中央会の購買あっせん事業から始まっている。

  産業組合の購買事業の増加にともない、大正八年の全国産業組合大会において、有限責任全国購買組合連合会の設立が議題となり、産業組合中央会の検討にゆだねられた。産業組合中央会ほ検討の結果に基き、大正十二年二月に府県連合会、産業組合を設立しで、有限責任全国購買組合連合会の設立総会が開催され、同年九月一日から業務を開始している。

 2、産業組合中央金庫の成立

  産業組合中央金庫設立については、一方において単位産業組合の貯蓄組合化、都連の府県信連への統合など、第一次世界大戦後、信連産業組合の余裕金処理問題が起こり、中金設立の動きも活発化した。

  こうした情勢の中で産業組合中央会は、大正十二年二月に産業組合中央金庫設立を政府に対して建議し、直後、政友会の手によって衆議院に提出、三月二十四日に両院を通過、四月五日付けで公布施行、七月十六日の設立認可、大正十三年三月一日業務を開始した。

  産業組合中央金庫法の制定は、中央会の建議からきわめて急であったが、それは同法案が、農村の不況対策、あるいは小作争議対策の一環として取り上げられたからである。

  成立した「産業組合中央金庫法」の特質は組織構成に見られるように、出資者は政府、産業組合連合会、単位産業組合の三者に限定され、三千万円の出資金のうち半額は政府が負担、他は残る二者の負担とし、産業組合と同種の相互組織の特殊法人として、議決権は一組合一票、政府は議決に参加しないものと定められた。

 3、全国販売組合連合会の成立

  第一次世界大戦をはさんだ前後の時期において、産業組合の販売事業の変化は、販売事業実施組合数の漸増と、これにともなう販売取扱高の増加、阪売物に占める米穀の比重上昇となって表われ、米穀は産業組合販売事業取扱品の中心となった。

  産業組合による米穀販売事業は、政府の米穀政策に密接に関連して展開され、農業倉庫法、米穀法の制定を見ている。そして昭和六年、全国販売組合連合会が成立した。

富奥郷土史