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昭和十六年十二月八日、突如として起こった太平洋戦争は、昭和二十年八月十五日の終戦詔勅が発せられるまで約四年間の激しい戦争であった。この大戦争のために国土は疲弊し、すべての国力は消耗し、民力は極度に窮迫して、国民はただ茫然自失の虚脱状態であった。そのうえ連合軍の進駐と国内の無秩序のために道義はすたれ、ヤミ商人が横行して一時は言語に絶する不安な状態が続いた。
そこで民主主義と基本的人権を基調とした日本国憲法が昭和二十二年五月三日に施行になったのである。この憲法は人間普遍の原理と、人類共存の大義に基く崇高な理想と目的達成にあり、平和的にして民主的、文化的な人間と社会を造ることにあった。
わが公民館は時代の必然的な要求と、地域住民の、とくに青年たちの切実な要請によって、村の社会教育の足場、村の文化センターとして、昭和二十二年五月三日に設立された。再起を期し、更生日本の発展を考えたのは日本国民共通の当時の心理状態であった。その望むところが昭和二十一年に政府が発表した「新日本建設の教育方針」で文化国家、道義国家、平和国家の建設と科学教育の振興をめざす教育方針を明らかにし、その基盤として「公民館」の設置を提唱してきたのである。
そこでわが村では公民館の趣旨に共鳴して前記のように昭和二十二年五月三日に富奥村公民館則が定められた。
富奥村公民館則
第一章 名 称
第一条 本館は富奥村公民館と称し、富奥村字中林チ七十八番地におく。
第二章 目 的
第二条 本館は富奥村民の文化教養を高め、健全な思想の下に産業の開発、生活の改善、体位の向上に努力し、富奥村の振興を図ることを目的とする。
第三章 構 成
第三条 本館は富奥村民をもって会員とする。
第四章 役 員
第四条 本館は左の役員を置く。
館長 一名 副館長 二名 主事 一名
運営委員 若干名 部長 三名 副部長 六名
第五条 役員の任期は二ヵ年とする。ただし重任は妨げない。
第六条 本館の役員は事業運営上必要と認める時は他の役員を兼任することができる。
以下「第五章 役員の選出」「第六章 会議」「第七章 組織及び事業」「第八章 館則の改正」「付則」など細かに定められ、わが公民館最初の館則が出来上がり、この館則によって社会教育法のできた昭和二十四年に法に基く公民館が設けられるまで二ヵ年間運営されたのである。そうして公民館活動が低調ながらも全村民を対象として展開されたのである。
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富奥郷土史