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==第七節 農事改良組合の活動==
経済更生計画の中で富奥村十四部落はいち早く農事改良組合に改組した。この農事改良組合が富奥村の活動の大きな力となったことはいうまでもない。ここでは当時の農事改良組合の中でもとくに活動の目ざましかった組合を紹介して、記録にとどめておきたい。
太平寺農事改良組合
大正六年二月十一日に創立し、以来、共同苗代、共同採種圃、共同作業場などつぎつぎと新しい改良を加えて実施に移し、昭和三年二月七日には石川県農会の表彰、昭和六年四月には富民協会の表彰をうけた。
経営方針
1、団体的美風の保持
2、事業の経済的合理化
3、組合員の主体主義
4、愛農精神の徹底
これらにもとづきともに励み、ともにいさめ合い、農業技術を研究し、生活の改善と農事改良に当たらせた。また一方では自家の繁栄、農村の振興に努め、農業を愛し農村を愛する根本精神に沿うよう団結して進むことを申し合わせた。
組合の目標
1、既定事業の充実
2、完備せる住宅(台所改善)
3、増収計画(反当米四石、菜種三石)
4、副業計画 イ、野菜の栽培 ロ、わら工品の増産(一ヵ年一戸一千貫) ハ、裏作利用の研究
5、自給肥料の多用(牛、馬、豚、鶏の飼育)金肥の節約
6、生活改善(予算生活の改善、時間励行)
年中行事月別計画
一月 評議員会、総会、水稲座談会、新年会
二月 野菜改良座談会、春まき野菜種子の斡旋
三月 馬鈴薯種子の斡旋、野ネズミ共同駆除、柿の接穂および苗木の斡旋、
接木実地講習会、水稲種子斡旋、玉なわの共同販売
四月 苗代改良の徹底奨励
五月 共同田植え、苗代稗の除却、害虫駆除
六月 イナゴダマ駆除、メイチュウ共同駆除、モグラ駆除、共同田植成績表作製
七月 田稗除却、水稲栽培品種調査、結球白菜および大根種子の申込みと斡旋
八月 醤油原料小麦の配付、田稗除却、肥料消費高調査、裏作物調査
九月 籾摺および農具の共同利用、小麦、大麦、菜種の種子斡旋
十月 肥料共同購入
十一月 自家用醤油醸造および講習会、種麹の斡旋
十二月 米収穫高調査、大豆、小豆生産高調査、わら工品生産高調査、裏作野菜生産高調査
ほかに毎月一日を台所改善貯金の集金、勤労簿、経済簿の記帳とした。
共同作業場
1、設立大正九年二月十一日
2、事業開始 大正十年三月二十七日
3、出資口数二六八口
4、一口の出資額一二円五〇
5、出資金合計三三五〇円
6、設立費三三二八円一六(うち建築費 二、〇三七円〇八、坪当たり七三円七五、設備費一二八三円七八)
7、所在地太平寺ホ二十番地(借地料玄米一斗八升)
8、木造かわらぷき、床コンクー卜
9、建坪二十八坪
10、設備 イ、電動三馬カモーター 一 ロ、龍虎式籾摺機 一 ハ、岩田式籾摺機 一
ニ、安川式唐箕二 ホ、龍虎式二段撰穀機 一 ヘ、油仁式万石 二 ト、安島式撰穀機 二
チ、箕 五 リ、蓆三〇 ヌ、わら打ち機 三 ル、製縄機 一〇 ヲ、精米機 一
ワ、製粉機 二 カ、付帯設備(シャフト八間、革車二十五個、ベルト大二十五個、小四十個)
以上のようにして部落の農事活動を展開したのである。他の富奥村十三部落においても大なり小なりそれに似かよった農事改良活動を続けて発展のために努力したことはいうまでもない。
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富奥郷土史