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野々市町歴史探訪
本町(他の神社仏閣)
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==他の神社仏閣==

○ 白山神社

 祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)大山祗命(おおやまづみのみこと)菊理比?命(きくりひめのみこと)の三柱の神霊である。永延元年(九八七)国司富樫忠頼が高安荘野々市の總鎮守として建立した。初め北横ノ宮社地に鎮座せしに同町との距ること遠く、文化文政の頃今の社地に遷した。

 北横ノ宮には天狗が住んで毎夜丑の刻には天狗の奏する音楽が聞こえるといわれた。

 夏になると宮の前に「ホタル」をおいて夜空に舞い近郊から大勢観衆が楽しんだ。

 

○ 光聖山 照台寺

 初め天台宗開基念和和尚親鸞聖人が越後に流罪せられた時、念和和尚が聖人を倉部川の辺りに迎え専修念佛の要義を開いてこれに帰依し、天台宗を真宗に改宗の開基を念和とする。

 改宗二世に至って寺号を賜る。その後寺運進展し、石川二大御坊に数えられ、波佐谷道場と共に有名な寺である。

 享禄四年(一、五三一)と天文四年(一、五三五)の二回兵火をうける。

 親鸞聖人真宗の開基元年(一、二二四)念和和尚嘉禄二年(一、二二六)歿す現二十六世

 寺の境内に親鸞聖人お手植の藤がある。

  宝物

 阿弥陀如来本尊(七五センチ)阿弥陀如来の全佛(富樫氏の甲本尊) 聖徳太子木像 親鸞聖人の自画の真影 親鸞聖人の真筆と伝えられる紺紙金泥十字の名号 虎猫の御書 郷土相撲力士の墓 茂岩三吉 小柳安太郎 柳島小三郎

 

○ 野市山 法林寺

 真宗大谷派に属する寺院で創建は押野山太子堂上宮寺に帰属する「野々市の道場」として元禄年間(一、六八八〜一、七〇三)に建立されたと伝えられる。寛政二年(一、七九〇)三林喜四郎の末孫である。普照庵釋義聞(ぎもん)法師 文化四年六月五日示寂が下林の庵(現下林の定林寺)より入寺し住持となった。これより義聞(ぎもん)の道場といわれるようになった。

 明治に至り第五世明證院釋恵燈法師大正十年二月二十二日示寂が野々市説教所と改名した。明治十二年三月十二日

 昭和二十二年四月十一日寺号公称を受けた第八世誓聞院釋義聞法師昭和六十年十月十六日示寂第九世三林寛氏

 

○ 隆廓寺

 真宗大谷派に属し慶応二年(一、八六六)六月羽咋郡元女村本乗寺の弟野々市に来りて開基した寺院である。

 明治十二年六月寺号公称の許可を受け今日に至る第三世外代子氏

 

○ 明泉山 高安軒

 高安軒は曹洞宗に属し北朝正平五年(一、三五〇)大乗寺三世明峰和尚の塔頭として富樫高泰の開基にかかるものである。

 天正八年(一、五八〇)柴田勝家の加賀一揆を討伐するまで二三〇年野々市大乗寺塔頭にあったが勝家の兵焚にかかり、大乗寺と共に金沢市木ノ新保に移り二十二年を経たる慶長六年(一、六〇一)大乗寺坂側に転じ越えて元禄十年(一、六九七)大乗寺が野田山に移された。明治維新の変遷により野々市に移る。

 富樫忠頼卿木像 富樫忠頼卿尊位 加賀国守富樫家累代精霊尊位安置されてあります。

 

○ 大乗寺跡

 弘長元年(一、二六一)第十四代富樫家尚が野々市の外守にあった泰澄大師の作である。大日如来の大佛堂の境内に一寺を建立し、大日山大乗寺と号して真言宗密師澄海阿闍梨を住持とした。これ野々市に於ける大乗寺の創建で現在金沢市野田山に法燈燦として煌く曹洞宗古刹香山護国禅大乗寺の起源である。

 

○ 白山水

 大乗寺白山水と八町四方の寺領について金沢古蹟誌に「野々市ノ天満宮ノ向ウニ白山水アリ、コレ古ヘ大乗寺コレ地ニアリシ時ニ白山水也」と言う、白山からの霊水で銘刀を鍛えたものである。現本町一丁目三四‐二〇である。喜多氏宅

 

○ 大乗寺和尚より霊骨発掘者野村松次郎氏に送りし賞状

  同氏は、大正五年(一九一六)、野々市耕地整理工事に従事中、外守旧八幡神社畔なる旧大東寺開山塔所の地下より石櫃を発掘せり、当寺二十七世卍山禅師が藩主前田氏に提供せし古書に記載せる三祖尊の霊骨を奉安するものなり、而して其尊責なる所以って聞知し舘八平氏の乞ひを容し無報砂にて分与し今日あるを至せしもの偏に同氏発掘の功と謂うべし?に感嘉に堪へず依って茲に賞状を呈す

 昭和二年八月二日 高安軒本寺 大東六十五世 徳翁大龍

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 ▲ 1:はじめに 2:布市神社 3:他の神社仏閣 4:名所・旧跡(1) 5:名所・旧跡(2) 6:藤村理平氏 7:富樫氏滅亡後の野々市 8:冨樫氏と大乗寺 9:あとがき