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==第十二節 富奥の里親==

 

第十二節 富奥の里親

 一、里親制度の概要

  戦後わが国の民主化思潮は、各方面にわたり急激にかつ強力に進展し、種々の改革制度が雨後のタケノコのように生まれてきた。とくに人権等重の思想は重視され、婦人や未成年の子供に対する人権擁護が強く浮かび上がった。悲惨な戦争の影響は罪無き力無き多くの子供達にしわ寄せされ、いわゆる戦争孤児となったいたいけな浮浪児は都会にあふれ、悲惨な光景が全国いたるところに見られた。これらの子供達は国家の責任において当然善処すべきだとして昭和二十二年、初めて児童福祉法が制定された。その第一条に「すべての国民は、児童(満十八歳未満の者)が心身ともに健かに生まれ、かつ育成されるように努めなければならない」と規定されてある。この育成すべき両親などの無い児童は、国や地方公共団体の養護施設で育成すべきであるが、心身ともに健かな育成は集団施設よりも両親の健在な正常家庭内で行われるのが最適であるとの観点から、里親制度が児童福祉法に取り入れられた。本県ではこの制度の趣旨にのっとり、里親登録が行われさらに自主的組織活動として石川県里親会(昭和二十九年から石川県社会福祉協議会に里親部会として加入する)が設立され、本村から藤多三夫氏が副会長に選任された。

 二、富奥村里親会の設立

  本県里親会が発足してからいち早く、本村内の登録者は十名を越え、他町村には類のない里親集団の村として全国大会において紹介され、続いて昭和二十八年、富奥村里親会(昭和三十四年野々市町社会福祉協議会に里親部会として加入)が設立された。この会は県内町村組織として唯一の存在であり、本制度に関する研究および普及活動、里子養育法の研修懇談など、県中央児童相談所の指導のもとに地味な活動が間断なく続けられ、里親の村として県下にその名声を博するに至った。

       富奥村里親会の組織

  会長 山本茂雄、副会長 宮岸 清、会員 藤多三夫、北岸文雄、佃 栄吉、千田章、平井庄八、喜多林富朔、中村敏雄、藤多俊

 三、二十日里親の実施

  昭和三十年七月、児童養護施設小野陽風園の初の試みとして、夏休み期間を利用し、一般家庭内生活経験のない園児に二十日間、家庭生活を体験させる計画を立て、当局において

 一、まず好環境の農村地帯

 二、里親制度に対する関心と理解

 三、両親の健在な正常で温かい家庭

 を条件として、当地区を指定、その世話役を当里親会に依頼された。このため当地区選出の児童委員の方々に相談、次の各家庭に委嘱して受け入れることになった。

 二十日里親家庭一覧

 部落 里子 世帯主 氏名 家族関係

 土新庄 中三女児 藤田敬治(祖父)  父、母、長女、二女、長男        農業、水田耕作二町三反

 清金 中三男児 上野由雄(父)   母、長女、長男            農業、水田耕作二町八反

 清金 中三女児 北岸文雄(父)   母、弟、長男、二男、長女、二女     農業、水田耕作二町八反 乳牛二頭

 末松 中三男児 松本長吉(祖父)  祖母、母、孫三人            農業、水田耕作二町

 末松 中三女児 松本正一(祖父)  父(公務員)母、長女、二女、三女     農業、水田耕作二町三反

 下林 中三女児 伊藤初太郎(祖父) 祖母、父、母、長男、長女        農業、水田耕作二町五反

 太平寺 中三男児 平井三次(祖父)祖母、父、母、弟(会社員)長女、長男     農業、水田耕作二町三反

 藤平 中三男児 藤多三夫(父)   祖母、母(教職員)里子(十七歳男児)長女  農業、水田耕作一町七反 乳牛二頭

  ○期限 昭和三十年七月二十五日から八月十二日まで

        里子慰安の集い(全里子集合)

  第一回 七月三十日午後二時、富奥公民館において=お話(農家の生活について)山本会長、座談(里子の質疑を中心に)茶菓子、果物を食べながら、昔話と幻灯増山児童委員

  第二回 八月八日午後二時、富奥公民館において=お話(農業と農村について)中島公民館長、教訓道話(農村の歴史から)上田教諭、座談(里子の感想を中心に)茶菓子などを食べながら、レクリエーショソ、のど自健、かくし芸等

  第三回 八月十二日午後三時富奥公民館において=送別の会 里親里子同伴で集合、里親代表挨拶藤田敬治氏、里子激励のことば山本会長、お別れのことば里子代表、謝辞小野陽風園児童部長大久保昇氏、見送り午後五時、乙丸粟田口駅で見送る。

 

富奥郷土史