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==第八節 方面委員と助けあい==
石川県では昭和三年、恵まれない階層の人達を助け、生活に困窮する人々の扶助や病弱の老人達に対して、医療や生活の立ち直りなどを目的とした制度がつくられた。
富奥村では昭和七年に小林千太郎(上林)が石川県方面委員になっている。村では有識者から選ばれ、四名から五名くらいの人選によって行われていた。共同募金や身上相談、学童の衛生、その他村の福祉、医事関係まで幅広い活動を続けていた。終戦後、昭和二十三年になってその名称も民生委員と改められ、富奥村民生委員協議会となった。民生委員は児童委員も兼ね、託児所や保育所までも包含するますます多忙な職となった。昭和三十年に野々市町に合併してからも、引き継いで東西南北から一人ずつ人選されてきたが、団地など住宅地の激増により、昭和四十九年十二月二名増員となって現在に至っている。
民生・児童委員
昭和二五~三六 小林孝義 昭和三六~四四 西本敏雄 昭和三三~四七 五香艶子 昭和三四~四三藤多三夫 昭和三四~現在 竹村 祐 昭和四三~現在 平井庄八 昭和四三~現在 小林喜一 昭和四六~現在 山田由次 昭和四六~現在 上野由雄 昭和四九~現在 中島百合子 昭和四九~現在 佃 栄吉
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富奥郷土史