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==第六節 伝染病対策と注意書==
明治十九年度の清金区に残っている書類の中に、次のようなものがある。
清金村明治十九年度虎列刺(コレラ)病雑覚帳
御供田村村田久次郎分
一、金十一円十三銭 清金村ニ於テ虎列刺病死ニ付総高
内 二円二十銭 小足掛料人足費
〃 五十銭 患者運搬 五香 三次郎
〃 十 銭 人夫 宮崎 庄次郎
〃 十 銭 〃 宮岸市郎右ェ門
〃 十 銭 〃 上田七右ェ門
〃 十 銭 〃 東野与三右ェ門
〃 十 銭 〃 西井清左ェ門
内 五十銭 患者運搬 山本伝右ェ門
〃 十 銭 人 夫 橋本吉右ェ門
〃 十 銭 〃 宮岸孫右ェ門
〃 十 銭 〃 新本 清次郎
〃 十 銭 〃 福井 兵次郎
〃 十 銭 〃 藤田 仁三郎
〃 五十六銭 送葬料
一、 二円六十銭 火葬人夫貨
内 五十銭 焼手当 五香 三次郎
〃 五十銭 焼手当 山本伝右ェ門
〃 五十銭 〃 徳野与右ェ門
内 五十銭 焼手当 藤田 仁三郎
〃 十 銭 人夫 本井 宗次郎
〃 十 銭 〃 西井加之次郎
〃 十 銭 〃 宮崎 庄次郎
一、金 五十銭 看病人費
内 弐十五銭 福井 兵次郎
一、金 四十銭 脚夫費
内 二十銭 橋本 弥三郎
一、金三円三十二銭 諸雑費
内 十七銭 ろうそく費
〃 三十五銭 白米七升
一、金 五十銭 石炭酸予防費
〃 十三銭 炭一俵代
〃 七銭 手おけ二個代
〃 三十八銭 フトンおよびジバン二枚
内 十 銭 人 夫 上野磯右ェ門
〃 十 銭 〃 新本 清次郎
〃 十 銭 〃 橋本吉右ェ門
内 弐十五銭 看病代 東大三右ェ門
一、金 二十五銭 検疫費
内 二十銭 新本嘉右ェ門
内 二十四銭 石炭、油費
〃 一円五十六銭 酒七升、上酒三升、検病予防
〃 一円十銭 わらなわ、おけ費
一、金 八十銭 予防委員日給
〃 十一銭 小ダライ一代
〃 三 銭 茶わん二個代
〃 三十五銭 小屋掛け、竹、わらなわ
以上
となっている。御供田村の人がどうして清金村で「コレラ」で死んだか、わけを書いてないので判明しないが、こうして「コレラ」病で死んだ人を村人が消毒やら小屋掛け隔離して看病やら番をしたことがわかるのである。この書類にはその後も村人達が感染して、六人が「コレラ」で死亡した覚え書きが続いている。清金だけで「コレラ」がまんえんしたとも思われない。富奥地区全体もこうしたコレラの脅威にさらされたことであろう。そしてこの書類の最後のところに
右ノ通リ相違之無候也
石川郡清金村惣代 金田理右ェ門
石川郡清金村予防委員 宮崎 吉兵衛
となっている。おそらく戸長役場か上司の方へ報告したものの控えでないかと思われる。
コレラが恐しい病気だったことは今も変わりない。こうしたことがどのくらい続いたであろうか。明治二十二年六月、本県告諭第四号抜粋奉書として、ようやく対策を示した注意書が出ているので次に記してみよう。
一、虎列刺及赤痢疑似患者ハ勿論吐瀉又ハ下痢患者アル家ニハ必ズ立チ寄ラザルコト
但シ万一止ムヲ待ザル事故アリテ患家ニ至ルモ必ズ飲食ヲ為サザルハ勿論一片ノ菓子ト雖モ貰ヒ受クベカラザルコト
一、飲料水及牛乳ハ必ズ煮沸シタルモノニアラザレハ飲用セザルコト
一、食物ハ総テ熟煮又ハ熟焼シタルモノヲ用フルコト故ニ刺身ノ類ハナルべク食セザルヲ可トス
一、不熟の果物不消化物及腐敗ニ傾キタル物ハ食用ニ供セザルコト
一、麺類「トコロテン」等ハナルべク食セザルコト
一、宵越ノ食物ハ食用ニ供セザルコト
一、氷水ノ類ハナルべク飲用セザルコト
一、「アルコール」ノ濫用ハ虎列刺病赤痢病等ヲ誘発スルノ恐アルニ付デキルダケ少量ヲ用フべキコト
一、勉メテ暴飲暴食ヲ為サザルコト
一、飲食器ハ煮沸ツタル水ニテ洗條スルコト
一、飲食物及欽食器ニ蠅除ケノ装置ヲ為スコト
一、深夜ノ飲食及外出ハナルぺク為サザルコト
一、就寝ノトキハ必ズ衣服ヲ著ケ腹部ヲ露出セザルコト
一、シバシバ沐浴シテ身体ヲ清潔ニスルコト
一、夜具ハ時々日光二曝晒スルコト
一、家屋内ハヨク掃除シ日光ノ射入及空気ノ流通ヲヨクシ乾燥スルコト
一、宅地内ハ総テ清潔ニシ殊ニ庖厨浴室青厠溝渠芥溜等ハ病毒ノ好ンデ占居増殖スル処ナルガ故常ニ掃除ヲ為シタル後ナルべク石灰乳又ハ生石灰末ヲ散布シ且下水ノ停滞セザル様注意スルコト
一、各家二傭アル塵取箱ノ塵芥ハ毎日一定ノ投棄場ニ投棄スルコト
一、腹痛又ハ下痢ノ気味アルトキハ売薬ニ依頼セズ必ズ速カニ医師ノ治療ヲ受クルコト
一、家族ニ下痢患者アルトキハ伝染病ト否トニカカワラズ便所ニハ石灰乳ヲ投シ消毒スべキコト
伝染病に対する注意は現在も変わらないが、医療施設のとぼしいその頃は、こうして村人連の生命の犠牲を最小限にくい止める努力をしたことがうかがわれるのである。
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富奥郷土史