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日本の神々
(伊勢神宮)
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 [part1]

==伊勢神宮==

 

○伊勢神宮

 日本国に約八万の神社があります。その中で三重県(みえけん)伊勢市(いせし)の伊勢神宮(いせじんぐう)は古くから「伊勢(いせ)さん」として親しまれてきました。

 我が国の古来からの宗教では森が神の住む世界であった。伊勢神宮参拝者は俗界(ぞうかい)と聖会(せいかい)のかけ橋とされる宇治橋(うじはし)を渡り、森の中にある正宮を目指す。うっそうとした杉木立の葉が擦れ合う音を聞きながら玉砂利(たまじゃり)を踏みしめる。

 参拝の前に御手洗(みたらし)を五十鈴川(いすずかわ)でする。石畳を下り、川に手を浸し清らかな香り水ですすぐ、水は本来、無味無臭(むみむしゅう)であるが神路山(かみじやま)の原生林を流れてきた川は自然のふくいくたる芳香をたっぷりと含んでいる。歩を進めると、次第に空気が清浄されていくのを嗅覚で感じ、全身が自然の香気に包まれる。いわゆる「森林浴」で古代の人は経験的に知っていたのである。

 日本人みんなの心のふるさと、伊勢には日本人みんなの大御祖神(おおみおやがみ)の天照大御神(あまてらすおおみかみ)がおまつりされているからです。

 正しくは「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言います。天に照り輝く太陽のように宏大無辺(こうだいむへん)な光を与えてくださる皇室の御祖神(みおやかみ)であり、私たちみんなの祖先の神さまです。

 皇孫瓊々杵尊(こうそんににぎのみこと)が、この国土に降られるとき、天照皇大御神は、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を授けられて、皇位と国家の永遠を祝福され、

 「吾(あ)が児(みこ)この宝鏡を視(み)まさんこと、まさに吾(あれ)を視るがごとしすべし、ともに床(みゆか)を同じくし、殿(みあらが)を共(ひとつ)にして斎鏡(いわいのかがみ)となすべし」と神勅(しんちょく)を下されました。

 この御鏡(みかがみ)こそ、伊勢の皇大神宮(こうたいじんぐう)に天照皇大御神の御霊代(みたましろ)としておまつりする神鏡です。

 古代の鏡は貴重でありました。太陽の明るい光を反映し、ありのままの姿を写す鏡は不思議な霊力がこもるものであり、太陽のシンボルでもありました。その御鏡を代々の天皇は神勅のままに、同床共殿(どうしゅうきょうでん)で皇居の内におまつりし、厚いご崇敬をささげておられました。

 今から二千年以上も昔第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の御代(みよ)、「日本書記(にほんしょき)」によると、国中に疫病が流行し災害がつぎつぎに起ったという。天皇はどうしてだろうと占いをされました。

 皇居の外の日本で最も良い所で奉斎(ほうさい)すべし」との御託宣(ごたくせん)がありました。

 そこで崇神天皇は皇居の近く、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)をたてて皇大御神(すめおおみかみ)をおまつりし、皇女の豊鍬入姫命(とよさきいりひめのみこと)が日夜ご奉仕なさいました。

 第十一代の垂仁天皇(すじんてんのう)の御代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が、さらにもっと良い宮地を求めて各地をご巡幸されました。

 まず大和の国、そして伊賀(いが)、近江(おうみ)、美濃(みの)の国と八十九年間に十二ヶ国御還座(ごへんざ)二十九回あちこち巡られてから伊勢の国へ入り、度会(わたらい)の宇治の五十鈴川の川上にこられ、ここを大御神さまのご神慮に最もかなった大宮地(おみやち)だと定められました。

 当時の大和地方の人々にとって、伊勢は海に近い東の国のはずれであり、太陽の昇る地であった。伊勢の海のかなたには常世(とこよ)の国という理想郷があり、そこから永遠の祝福を与えてくれる波がたえず打ち寄せてくる所という信仰のある「可怜国(うましくに)」でありました。

 うましの国とは、五十鈴川の流れる風光明媚(ふうこうめいび)な美(うま)し国であり、海の幸、山の幸に恵まれた、神々へのおいしいお供えものが豊かな国であるということができましょう。

 

 1)大和笠縫邑 2)丹波吉佐宮 3)大和伊豆加志本宮 4)紀伊奈久佐浜宮 5)吉備名方浜宮 6)大和弥和乃御室嶺上宮 7)大和宇多秋宮 8)大和宇多佐々波宮 9)伊賀隠市守宮 10)伊賀穴穂宮 11)伊賀敢都美恵宮 12)近江甲可日雲宮 13)近江坂田宮 14)美濃伊久良河宮 15)尾張中島宮 16)三河渥美宮 17)遠江浜名宮 18)伊勢野代宮 19)伊勢忍山宮 20)伊勢阿佐加藤方樋宮 21)伊勢飯野高宮 22)伊勢佐々牟江宮 23)伊勢伊蘇宮 24)伊勢瀧原宮 25)志摩多古志宮 26)志摩宇久良宮 27)伊勢宇治家田田上宮 28)伊勢奈尾之根宮 29)伊勢五十鈴川上宮(内宮)

 

 ・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

 皇大神宮(内宮)が御鎮座なさってから五百年ほどたった第二十一代雄略天皇(ゆうらくてんのう)の二十二年のある夜のことでした。

 雄略天皇の御夢に天照神大御神があらわれて、「丹波の国の比治(ひじ)の真名井(まない)の原という所にまつられている豊受大神を御饌(みけ)つ神として私の近くによんでほしい。一人では大御食(おおみけ)(お食事)も安心して食べられない」と神示がありました。

 

 内宮(ないぐう)と外宮(げぐう)

 そこで天皇は丹波(たんば)の国(現在の京都府・兵庫県北部)から豊受大神(とようけおおみかみ)を伊勢の度会の山田原にお迎えしてお宮を建てられました。これが豊受大神宮(とようけだいじんぐう)であります。

 御饌つ神とは、稲をはじめとする五穀の主宰神で大御神のお食事をつかさどり、衣食住ひいては、すべての産業の守り神であります。お伊勢さんには内宮と外宮があるのですか、とよく聞かれます。先に記したように、内宮の御祭神は私たちに生命の本源をあたへてくださった大御祖神(おおみおやかみ)であるが、私たちはただ生命があるだけでは生活ができません。毎日いただく食物をはじめ衣食住の恵みがなければ絶対に生きていかれません。生きていく、生かさせていただく、最大にして最小の要素が、内宮と外宮の御神徳(ごしんとく)に集約されていて、日本人として、いや人間として感謝すべき源が伊勢におまつりされているとお話しますと、ほとんどのお方は納得され、「それでどの宗教の人々も伊勢神宮にはお参りするのですね」といわれます。

 

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