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日本の神々
(日本武尊の夢)
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==日本武尊の夢==

 

○日本武尊(やまとたけるのみこと)の夢

 私はこれまで「文字」の夢を見ることはありませんでしたが八月六日夢枕に見た夢は家を出てどこかお参りに行く途中景色のよい緑りの濃い森でした。太陽の光りに照らされていた。御影石に「日本武尊」と書いた碑が建立されておりました。

 環境のよい明るいところでしたので、その碑を見ながら散歩しておりました。

 兼六園の日本武尊の銅像を思ひ西南の役で亡くなられた方や、日清、日露戦役で亡くなられた方の霊を祀る日本武尊と思われた。日本一強いと尊称された日本武尊、草薙剣(くさなぎのつるぎ)も一段とさえ渡り蝦夷(えみし)地を征伐した瞬間に夢が消えました。眼がパットさめましたので時計を見ると午前三時でした。今想うに「日本武尊」という夢を見たのだろうと一日中不思議でならなかった。

 日本武尊は第十二代景行天皇(けいこうてんのう)を父に針間之伊那昆能大郎女(はりまのいなびのおおへらつめ)を母として三番目の子(兄の大碓命(おおすのみこと)とは双生児)として生まれたのが小碓命(こうすのみこと)(日本武尊の幼名)である。また名を倭男具那命(やまとおぐなのみこと)とも云う。ちょうどその頃九州に熊襲(くまそう)の一族が朝廷に背いて猛威をふるっていたので天皇は小碓命に命じて征伐させようとした。この時小碓命はわずか十六才見目うるわしい美少年のやさしい力持ちという勇敢な少年であり、またすぐれた歌人でもあった。

 小碓命は九州に渡り、熊襲のようすを探るうち一族を集めての大酒盛りがあることを知り、当日小碓命は服装髪型を整えて少女に扮装し、多くの侍女の中にまじって宴席の手伝をしていた。夜もふけるにしたがって皆酔いつぶれてしまった中に熊襲だけ只一人小碓命の美しさに心をひかれながら尚も杯を重ねていた。

 機会をうかがっていた小碓命は熊襲に近づき、たちまちねじ伏せ懐中にかくし持っていた短刀で胸をつらぬいた。

 熊襲は驚いて苦しい息の下から「あなたは何という方ですか」と聞くので小碓命は「われこそは大帯日子淤斯呂和気命(おおたらひのこむしろわけのみこと)(景行天皇)の子倭男具那命である」これを聞いた熊襲は「わが国では私より強い者はおりません。これからは日本武尊と名乗って下さい」と言って息絶えた。

 熊襲は本名を川上梟師(かわかみたける)といい、熊襲族の頭目であるが、それよりも強いという意味で自ら日本武尊という名を贈ったのである。

 九州にはびこる賊徒は平定したが今度は東国の蝦夷がそむいて騒がしくなった。天皇は再び日本武尊に命じて蝦夷征伐に向う

 

 ○草薙剣の由来

 大和国を出発した日本武尊は途中伊勢に寄り、大神宮に戦勝を祈願した。この時大神宮に奉仕している叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(素戔鳴尊(すさのおうのみこと)から天照大神に献上した神剣)と小さな袋を授け「非常の場合はこの袋の口を解きなさい」の告げた。一行は伊勢より駿河(静岡県)に入ると、かねてから日本武尊の噂を聞いていた。この土地の豪賊相武国造は、いつわりの降服をし、陰謀をもって日本武尊を殺そうとした。

 蝦夷は言葉たくみに鹿守に誘い、枯草茂る広い野原のまん中に日本武尊の油断をみて不意に四方から火を放った。

 燃える火災に日本武尊は初めは驚いたが、ただちに腰の神剣を抜いて枯草をなぎ倒し、叔母から授かった袋を解くと中から火拓石が出てきた。日本武尊は火打石で急ぎ火を切り倒した枯草に迎え火としてつけると、たちまち風は方向を変え蝦夷の方へと吹きつけたのである。この思わぬ逆襲に賊は惨敗した。

 この由来によってこの神剣はのちに草薙剣と称するようになった。

 

 ○焼津(やいづ)

 この土地も焼津(静岡)といわれるようになった。箱根の山を越えて賊を平げて三浦半島から上総(かずさ)(千葉)に上陸した。

 日本武尊は蝦夷を追って遠く奥羽地方まで進み各所にある敵の本拠地をことごとく平定して帰国の途を急いだが途中尾張(愛知)に滞在し前にここを通ったとき婚約した美夜受比売(みやすひめ)と結婚した。

 楽しかるべき新婚生活もつかの間に近江の伊吹山には朝廷に従がわぬ悪神がいると聴いた日本武尊はただちに討伐に出発した。

 「こんな悪神などをやっつけるのに武器はいらぬ素手で十分だ」と敵を甘くみて神剣である草薙剣を妻に渡して「必ず帰ってくるから大事に預かってくれ」と置いていった。

 この草薙剣はそのまま美夜受比売の手元に残されていたので、この地に社を建てて祀ったのが熱田神宮(あつたじんぐう)のはじめであるという。その後日本武尊は病には勝てず山を下り三重にたどり着いた時には三重に曲がってしまったので三重と呼ぶようになったという。鈴鹿に達したとき容態は急変し、この地に息絶えたのである。熱田神宮の娘が富樫政親の御北方である。

 

 

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