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日本の神々
(富奥地区神社)
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==富奥地区神社==

 

○富奥地区神社

 

 

 白山神社   太平寺町

 祭神 伊邪那美命・豊宇気毘売命

 創立年代詳らかでない弘安五年(一二八二)岡本越前守兼帯神主を勤めたと伝えられる。明治四十年(一九〇七)二月一日稲荷社を合祀した。

 

 池上白山神社   位川町

 祭神 菊理媛命

 創立年代詳らない 弘安五年(一二八二)岡本越前守当社に兼帯勤めをしたと伝えられる。

 

 薬師日吉神社   下林町

 祭神 大山咋命

 創立は仁和二年(八八六)光孝天皇の創始にして大山咋命を祭神とする。元拝師山王社と称したと伝えられる。

 

 中林春日神社   中林町

 祭神 武甕槌神

 創立は詳らかでないが神主岡本越前守の文書によれば久安六年(一一四九)以前から兼帯していたとあるのでその頃即に鎮座されていた。もと春日社と称したが明治八年八月現社名に改称した。

 

 林郷八幡神社   上林町

 祭神 応神天皇

 創立は往古拝師八幡宮と稱し長和二年(一〇一三)創建と伝えられる。守護富樫家で歴代守護神として崇敬地頭大桑玄猷土豪林家、三林家、村民の総社として尊信されていたと伝えられる。

 

 富樫郷八幡神社   上新庄町

 祭神 応神天皇 菅原道真

 創立年代詳らかでないが神主岡本越前守の弘安五年(一二八二)の文書によれば本村名を記載しているのですでに鎮座されていたと伝える。

 もと八幡宮と称したのを明治八年現社名に改称同四十年三月同字菅原社を合祀した。

 

 菅原神社   下新庄町

 祭神 伊邪那美命・菅原大神

 創立年代は詳らかでないが古来村民から産土神と尊崇厚く神主岡本越前守の文書によれば久安六年(一一五〇)以前の鎮座と伝えられる。

 

 大兄八幡神社   末松町

 祭神 天照大神

 創立往古大兄明神と号し加賀國造大兄彦命を祀ったといわれる。明治四十二年(一九〇九)三月轟八幡社と合祀した。

 

 清金中宮神社   清金町

 祭神 天照大神

 創立は明応年中(一四九二)と伝えられる。明治三十九年(一九〇六)十一月一日八幡社と菅原社と合祀した。

 もと中宮神社と称したが明治八年現社名に改称

 

 中奥八幡神社   藤平田

 祭神 応神天皇

 創立は文明年中(一四六九)といわれているが神主岡本越前守の弘安五年(一三八二)の文書によれば当時既に鎮座されていたと伝えられる。

 もと八幡社と称したが明治十二年十二月十九日現社名に改称。

 

 錦橋八幡神社   藤平田新

 祭神 応神天皇

 創立は詳らかでないが神主岡本越前守の文書によれば弘安五年(一二八二)自己兼帯神社として当社を記している。

 

 豊田日吉神社   粟田町

 祭神 大山咋命

 創立は長享年中(一四八七)といわれるが、弘安五年(一二八二)神主岡本越前守の文書によればその頃鎮座されていたと伝えられる。

 

 日下日吉神社   三納町

 祭神 大山咋命

 創立は詳らかでないが延徳年間(一四八九)といわれている。もと日吉社と称したが鎮座地をクサカという処により明治八年現社名に改称

 

 藤岡諏訪神社    矢作町

 祭神 武御名方神

 創立年代は詳らかでないが神主岡本越前守の弘安六年(一二八三)の文書によればかなり古くから鎮座されていたと伝えられる。

 もと諏訪社と称したが明治十三年十月二十日現社名に改称同三十四年十月二十五日同字八幡社を合祀した。

 

 ○野々市町内には二十七社鎮座されています。本町二社、押野四社、郷七社、富奥十四社、石川県神社誌より

 往古は本町に七宮があったと伝えられる。

 

 

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