メニューに戻る

日本の神々
(春日神社)
目次へ

<< part1へ [part2]

==春日神社==

 

○天児屋根命(あめのこやねのみこと)と春日神社

   ・藤原氏の姓のおこり

 天児屋根命の職掌(しょくしょう)は霊媒と卜占(ぼくせん)とに依る神人の中継と祝祠(のりと)の奏聞(そうぶん)による諸罪抜除(しょざいばつじょ)を典掌とした。そして皇祖の神話を奉じて天孫の降臨に供奉し葦中津国(あしなかつのくに)御経略の天業を翼賛(よくさん)し其の孫の天種子命(あめたねのみこと)、神武天皇(じんむてんのう)の東征に供奉し協心?力して建国の皇謨の翼賛に?じ殊勲があった。天児屋根命の霊は久しく常陸国(ひたちのくに)鹿島神宮に建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)と同社殿に祀られていたが、中頃神鹿に騎して大和国生駒山西鹿(やまとのくにいきこまやませいろく)の平岡に移り、さらに奈良の春日神社に合祀された。

 春日神社の神鹿は天児屋根命の霊が常陸国鹿島神宮から此れに騎乗して大和国に移られた事に由緒とある。天種子命(あめのたねこのみこと)より十九代の孫御食子(みけのこ)の子中臣の子鎌子(鎌足)は中大皇子(なかおおえのおうじ)(後の天智天皇)をたすけて大化の新制に偉勲あり、その臨終にのぞみ天智天皇より大織冠(だいしょくかん)に補され藤原の姓を賜った。鎌足の子孫は藤原氏を姓とし代々大政の輔弼(ほいつ)に任じた。

 又御食子の弟国子は中臣の姓を犯し代々神事を典掌し神官諸家を統轄した。国子より二十六代清宣の時に至り藤波氏を稱し中臣の姓は絶えた。

 

白鹿之図

 

[part2] part3へ >>




 ▲ 1:伊勢神宮 2:春日神社 3:白山比?神社 4:本町地区神社 5:日本武尊の夢 6:押野地区神社 7:郷地区神社 8:富奥地区神社 9:追録